読書拙想文 『99%の会社はいらない』 堀江貴文
この本とは直接関係のない話だが、私がもっとも尊敬する幕末の偉人・高杉晋作が詠んだ歌の一つに、
西へ行く 人を慕いて 東行く 我が心をば 神ぞ知るらむ
という歌がある
高杉晋作というのは自分の故郷である長州藩(今の山口県)至上主義者であり、長州藩一国を以って日本から独立して世界と対峙する『割拠論』を主張していた。
「西へ行く人」というのは、割拠論に理解を示さず天下を団結させようと京都(=西国)で政治工作に勤しむ同志を指し、「東行く」というのは、長州単体でも幕府(=江戸は東国)と張り合おうと志を募らせる自分を指している。他にも西と東で両者の志が真逆にあることを現していたり、平安時代の歌人・西行法師へのリスペクトを含んでいたりもする。(高杉は世を儚んで出家した西行法師をなぞるように、この歌を詠んだ後に剃髪して自らを東行と称した。世に知られる高杉晋作の頭が丁髷ではなく散切り頭なのは、この時の出家の名残)
堀江貴文さんと高杉晋作は、いずれも行動の人という点は一致している。そして不屈の精神の持ち主でもある。堀江さんはよく知られているように逮捕され、収監され、自ら立ち上げたライブドアという会社を失いながら、今や逮捕前よりも自由に活き活きと誰憚る事無く活動している。(そして奔放な発言で物議を醸している)。高杉も、冒頭の歌を詠んだ時は失意の時で、自らの論に誰も理解を示さず、行動することを諦めて十年の隠遁生活に突入する決意を固めていた。十年経てば誰かが自分を理解してくれるだろう、それまでは待つ、ということだ。もっとも行動の人である高杉はそれから僅か三か月後に奇兵隊を結成するのだけど。周囲の迷惑を顧みず、派手に喚き散らすという点も高杉に似た堀江さんの特徴かもしれない。(そして高杉の特徴は、師の吉田松陰譲り)
話が大分読書感想から逸れたけれど、これは読書拙想文なのでご容赦願いたい。この本は、まぁいつもの堀江節全開ではある。穿った見方をすれば、「堀江貴文」というブランドを発信し、マーケティング活動をし、メルマガやらに人を呼び込むための本なのだろう。文章も端々から「俺ってこんなこと考えてるぜ」「俺ってこんなこと知ってるぜ」というのが滲み出ている。堀江さんのことが嫌いなら、イライラするだけなので読むことを全くオススメしない。
しかし、そういう雑味というかフィルターを取っ払えば、この本には大事なことが沢山書かれていると思う。なんといっても全体を通して堀江さんが訴えかけているのは行動することの大切さである。周囲に理解されなくても、失敗したとしても、先ず行動する。世の中には行動できない人が多いから、そこで周囲と差別化が出来るし、あれこれ試していく中で新たに開ける展望があると堀江さんは本の中で言葉を変えながら徹頭徹尾語り掛けてくる。
本のタイトルは「99%の会社はいらない」だから、てっきり組織のデメリットとか、日本の企業体質への批判とか、そういう要素で内容が構成されているのかと思った。勿論そういう要素もあるんだけど、それは副次的なものというか、そういう要素に割かれているページ数は多くはない。少しでも本が人の目に留まるようにつけられたタイトルなのだろう。
堀江さんが言いたいのは、人生を豊かなものにしたいのなら行動しろ、ということで、組織の中で人生を豊かに暮らしている人を否定していない。組織の中でも行動は出来るし、組織の目指すものと個人の目指すものが一致していて、組織人であっても満足出来る場合もあるからだ。ただ世の中には安心安定のためだったり、新しいことを始めることに不安があるからという理由で余計な行動を起こさない人もいる。そういう人に対する「組織にいることが安泰だと思うなよ」「それで人生幸せになれると錯覚するなよ」という警鐘の意味を込めたのがタイトルの「99%の会社はいらない」だ。
ところで本の中では、行動して人を巻き込むためのコミュニケーション術として、「自分をさらけ出すこと」を推奨している。他人の心を読めればベストだが、そんなことはなかなか難しいので、自分の心をさらけ出して他人に分かってもらうしかないということだ。周りの人全てに共感してもらえないとしても、少しでも自分のことを伝えるこてとで誤解を少なくし、共感者を増やせという主張は堀江さんらしからぬ(失礼?)マイルドな提言だが、真理ではないか。
自己弁護的な話で恐縮なのだけど、衝動的で、すぐにわーわー自分の思いを曝け出すのが、私の悪癖だ。「なんであんなに自分のこと曝け出しだんろう恥ずかしい……!」と、中学生の時の黒歴史を思い出した時のように後悔に足をバタバタさせることも週1くらいのペースで継続中。でもそんな私を「裏表が無いので信用できる」と言ってくれる人がいるのもまた事実なのである。(大体このコラムも露悪的かもしれない)
堀江さんのように思い切って行動するのは、簡単なことでは無い。(堀江さんは「何が難しいの?」と鼻で笑うだろうけど)
でも高杉晋作だって失意のうちに自重した時もあると考えれば、少し気持ちは楽にならないだろうか。今日一歩踏み出せなくても、明日一歩踏み出せばいいのだから。
そしてその行動は「起業する」とか、「旧式のザクでガンダムに戦いを挑む」とか、そういう大きな一歩でなくてもいい。「目を瞑っていた業務の問題点の改善提案」とか、「習い事を始める」とかでいいのだと思う。
ちなみに堀江さんも新しいことを始めるのは面倒臭いらしい。どうやらそこは行動するクセをつけるしかないようで、耳に痛い本でもあった。
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