読書拙想文 『関が原』司馬遼太郎
2016年の最後に読んだのは、最も大好きな作家の一人である司馬さんの、その数ある作品の中でも最も大好きなものの一つである『関が原』だった。私がこの作品を初めて読んだのは確か中学生の時で、今回で四回目の読了となった。
司馬さんの作品には大きく分けて二つの類型があり、一つは『竜馬がゆく』(坂本竜馬)や『燃えよ剣』(土方歳三)のように一人の主人公にスポットライトを当ててその軌跡に沿って物語を進める形式である。架空の人物を主人公にした『十一番目の志士』なんかもこの類型にあてはまるだろう。もう一つは主人公となる人物を設定しつつも人物ではなく事件や時代にスポットライトを当てる形式で、『坂の上の雲』(明治期の日本と日露戦争)や『翔ぶが如く』(明治最初期の日本と西南戦争)などがこれにあてはまる。本作『関が原』も後者に属する作品である。
これは個人的な意見なのだけど、一般的に「小説ってどんなもの?」と言われて当てはまるのは前者の類型だろうが、司馬さんの特徴がよく出てる作品は後者の類型に属する作品だと思っている。そして『関が原』はその中でも、司馬さんのエッセンスがギュッと詰まった作品である。
物語は秀吉が死の床につこうとしている場面から始まり、関が原で敗戦した石田三成が処刑されるところで終わる。主人公格には三成と島左近の主従が据えられ、その相手役として徳川家康が描かれているが、関が原に関わる数多の場面に描写が及ぶ作品である。
三成と家康の争いを通して描かれているのは、「この時代の人間は義では動いていない」といった司馬さんなりの時代観であり、小早川秀秋や加藤清正、島津義弘、藤堂高虎などなどの歴史上の人物たちが何を考えどう動いたかであり、小説というよりは物語仕立てで歴史のお勉強が出来る本といえるかもしれない。
司馬さんは一つの長編作品を書くのにトラック数台分の資料を用意したという話もある。膨大な資料に裏打ちされた史実を並べつつ、その行間に読者にそうと気づかれない巧みさで司馬さんの創作や解釈を入れてくる作風は賛否両論あるが、歴史上の人物の政治劇が活き活きと描写された娯楽系歴史小説の完成形のように私は思う。(ちなみに歴史小説は歴史上の人物・事件を扱ったもの、時代小説は過去の時代を舞台にしたもの、という区分けがあり、歴史小説は創作と史実の配合具合が難しい。創作に偏ると「歴史」ではなくなり、史実に偏ると「小説」ではなくなるのだ)
ところで私が歴史小説を読む時の個人的な楽しみ方として、ドラマ化された時のキャストを考えるという読み方がある。大概は直近のドラマ作品に引っ張られた配役になるのだけど、例えば『関が原』なら、家康と三成は大河ドラマ『真田丸』でハマり役の好演だった内野聖陽さんと山本耕史さん。島左近は古武士然とした厳つさと茶目っ気を併せ持った役所広司さんといった風に。
一つ前の拙想文で、ミステリー小説はお酒のパートナーというようなことを書いたけど、小説というのは自分なりの楽しみ方を見つけたもん勝ちだと思います。
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