第341話 『琉球とオランダ』

 元治元年八月二十七日(1864/9/27) 江戸 大村藩邸

「さて次郎、次はいかにすべきかの」

「は、イギリスが本気を出してくればかなりかた事様ことざま(難しい状況)にございますが、そうならぬよう各国の公使館や新聞各社には根回しをしております」

「ふむ、イギリスは、攻めてくるかの?」

「それはわかりませんが、これをご覧ください。それがしの根拠はここにあります」

 次郎はそういって英語で書かれた新聞を純顕に差し出した。

「これは……。イギリスの新聞ではないか。それも……はて、わしにも西洋暦の心得は多少あるが、一年半ほど前の新聞ではないのか?」

 1863年1月2日金曜日付のザ・タイムス。

 それが新聞の日付であり、そこには詳細にイギリス海軍の戦力分布が書かれてあった。




 戦列艦 (74~131門):85隻
 50~72門艦:39隻
 フリゲート艦(24~46門):69隻
 スクリューコルベット(21門):30隻
 20門未満の艦艇:600隻以上
 砲艦(2門)190隻
 合計で1013隻以上




「これがここ」

 そう言って次郎は部屋に置いてあった地図を広げ、指をさして広大な範囲を示した。

「北米、地中海、東インド・中国、西アフリカ、太平洋、南米東岸、喜望峰、オーストラリアに分けて配しております。また、フリゲート艦は数が多く、その一部は大型で強力な艦であると書かれています。20門未満の艦艇が多数ありますので、沿岸警備や植民地警備など、様々な任に対応できる柔軟な海軍力を持っていることを意味しています」

「うむ……」

 純顕の顔が険しい。

「わが海軍と公儀、そして佐賀と薩摩と長州の軍艦すべてを加えても、四十分の一にしかなりませぬ。まともに戦えばまず勝てぬでしょう。我が家中にはイギリスよりも優れた技術があり、兵も精強にございます。されど、いかに優れた兵器、練度の高い将兵がいたとて、おらぬ所に攻め込まれれば為す術がありませぬ」

「……然れど」

 純顕の目が光った。

「然れど、一度に日本に向かわせるとなれば……それは能わぬのであろう? そのために他の列強と話をしているのだろう?」

「ご明察にございます」

 次郎はニヤリと笑って話を進める。

「ここに書いてある東インド・中国艦隊は戦死したキューパー提督の艦隊で、三十二隻でございます。内訳は存じませぬが、そのうち六隻を撃沈しました。おそらく主力を率いてきていたでしょうから、残りの二十六隻は沿岸警備用の砲艦もしくは小型の艦艇かと思われます。ゆえに速やかに動くことは難しかと。また捕虜となったキング提督の艦隊は別から遣わされています」

「つまりは……新たに艦隊をなして日本に来るには、他の備えを疎かにせねばならぬ、そうじゃな?」
 
「然に候(そうです)。イギリスは世界中に植民地を持ち、それらを守るための艦隊を配置しています。これらの地域から艦船を引き抜くことは、その地域の備えを弱めることになります」

 次郎はうなずきながら説明を続け、純顕は地図を凝視しながら考えを巡らせた。

「うべな(なるほど)。他国の動きにも気を配らねばならぬか……」

「は。特にロシアの動きが重し(重要)にございます。クリミア戦争以降、イギリスとロシアの関係は良好とは申せませぬ。イギリスが極東に大規模な艦隊を派遣すれば、ロシアが黒海や地中海で動きを見せる可能性がございます」

 純顕はあごに手を当て、深く考え込んだ。

「ふむ。では、我らにはまだ時があるのだな?」

 次郎はうなずいた。

「はい。然れど油断は禁物にございます。イギリスの造船能力は非常に高く、短期間で新たな艦船を建造できます。我らも備えを強める事を怠ってはなりません」

「わかった。では、次の一手はなんだ?」

 そう言って純顕と次郎は今後日本がなすべき事を話し合った。大老(慶喜・春嶽・老中院含む)会議で話し合うためである。




「時に次郎、もしイギリスが時間稼ぎだとしても、和平を求めてくるとすれば、いかにしてくるであろうか」

 一段落ついたところで酒宴の準備が進む中、純顕は唐突に次郎へ問いかけた。

「そうですな……。まずロシアはありますまい。さきほども申し上げましたが、クリミア戦争後、関係は良いとは言えませぬ」

「ではいずこじゃ? フランスか、アメリカか?」

 次郎は考えていたが、結論に達したようだ。

「……そのどちらでもありますまい。フランスとは表面上争ってはおりませぬが、それは上辺だけのこと。もとよりイギリスは孤立主義にございますからな」

「孤立主義?」

「然に候。あまりにも強いゆえ、他国に頼らずとも良い、という考え方にございます。然れど此度こたびの敗戦で、少なからず変えねばなりますまい」

 次郎の歴史上の知識もあるだろうが、この時にはすでに複数の新聞を読む事ができ、新聞社にパイプもあったのだ。

「アメリカは南北戦争が終結に向かっているとは言え、未だ予断を許さぬ事様にて、残ったのはオランダにございます」

「オランダ? 然れどオランダは……あまり斯様かような事はいいたくはないが、欧州にて影響力は他の三国に比べて低いと聞き及んでおるぞ」

 純顕は少し驚いた顔をして次郎を見た。

「確かに、オランダの欧州での影響力は他の列強に及びません。然れど日本との関係においては特別な立場にあります。出島を通じて、わが国は二百年以上にわたり西洋の科学技術や情報を得てきました。この長年の関係が、今回の交渉においても重き意味を持つと考えております」

 純顕は興味深そうに聞き入った。

 次郎は地図上のインドネシアを指して続ける。

「さらに、オランダは東インド諸島に広大な植民地を持っています。彼の地での彼らの経験は、アジアでの外交において大きな強みとなっています」

「ふむ、ゆえにイギリスはわが国との結びつきの強いオランダを介して、話合いの場を設けてくると?」

「然に候。オランダも断る理由はありませんから、なんらかの条件付きで仲介いたすでしょう」

 イギリスとしては話合いの場を設けて事態の改善を図ろうとするだろうが、同時に軍備の拡張をして日本に軍を派遣できる状態にするだろう。そうさせないための各国への根回しなのだ。

「然れど交渉の窓口はなくなっておるぞ? イギリス公使館は閉鎖され、全員が上海もしくはその他に逃げているではないか? こちらが上海まで出向くのも筋が通らぬ。何処いずこで話合いをするのだ」

 純顕が疑問を呈した。

「ゆえに……ちょうど良い落とし所は琉球あたりではございませぬか? 彼の国は清国とわが国の影響下にありますゆえ、地理的にも適しております」




「琉球か……」

 その後も酒を酌み交わしながら談義が続いた。




 次回予告 第345話 『昇任問題とレオン・ロッシュ』

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