第353話 『総辞職と証人喚問』

 慶応元年五月一日(1865/5/25)

 生麦事件における隠蔽問題や敗戦の責任をとって、パーマストン内閣は総辞職した。

 続いてエドワード・スミス=スタンリーを首班とする、第3次ダービー伯爵内閣が圧倒的多数の議席で発足したのである。

 第1次、第2次内閣は少数与党で短命であった。しかし今回の政権は過半数どころか3分の2以上の議席獲得で、庶民院・貴族院ともに多数派である。




「それで、吃緊きっきんの課題は日本の要求である証人喚問だが、上海の状況はどうなのだ? オールコック前公使とニール前代理公使の所在は? 上海のパークス領事は応じるのか?」

 ダービーは外務大臣で息子のエドワード・ヘンリー・スタンリー(第15代ダービー伯爵)に確認した。

 琉球で会談をしていたガウワーが、本国への連絡とともに上海領事館へ一部始終を報告していたからである。

 スタンリーはダービーの質問に対して、慎重に情報を整理しながら答える。

「上海の状況はまだ詳細に判明しておりません。オールコック前公使とニール前代理公使の所在も現時点では不明です。パークス領事の対応も、確実な情報は入っておりません」

「琉球での会談の内容は把握しているのか?」

 ダービーは表情も変えず、冷静に状況を分析して続けて確認した。

「はい、ガウワー氏からの報告によると、日本側は生麦事件の真相究明に強い意欲を示しているようです。証人喚問の要求も、その一環でしょう」

「ふむ……ならば早急に2人の所在をつかみ、パークス領事には正確に我々の意向を伝えなさい。政権が変わっても大英帝国は大英帝国である。しっかりと外交官として、国益となる行動をせよと念を押すのだ」

 ・あなたの指示や行動は誰かに指示されての事か?
 ・なにをどう指示したのか?
 ・領事館員の殺害や、逃亡犯の暗殺の指示の有無。
 ・日本側の捜査依頼に協力的だったか?

 重複する部分もあるが、主にこの4点がパークスの功罪を決める。イギリス政府としてはこの点をはっきりさせた上で、証人喚問に出頭させたいのだろう。




 ■慶応元年うるう五月二十一日(1865/7/13) 上海領事館

「まずい、まずい! まずいぞ!」

 イギリス本国からの指示を何度も聞いていたサー・ハリー・スミス・パークスではあったが、多忙を理由に断っていたのだ。

 しかし政権が代わり、もうどうにもならなくなっていた。

「オールコックきょう! ……ニール代理公使、いったいどうするのですか?」

 パークスは声を荒らげる。

 目の前には前駐日イギリス公使のオールコック、そして同代理公使のニールがいた。




「パークス君、落ち着きたまえ。あせったところで状況は変わらない。ここは出頭するよりほかはないだろう」

 当然だ。

 日本側は最初から多数の街道の人々の証言や、港の作業員の証言があった。

 そして当事者であるビル・スレイターの証言。さらに上海での一部始終を証言した、元上海領事職員のアーサー・ヘンリー・フィッツジェラルド。

 これだけの証言をもとに筋書きを考えて、一連の陰謀を追及してきたのだ。

 オールコックは深いため息をつき、パークスをみて冷静に話し出す。

「いいかねパークス君、本国の政権も代わり、我々の擁護をする者はいなくなった。しかも情けない話だが、日本に初戦で出鼻をくじかれ負けている。こうなった以上は証人喚問に出頭するほかないだろう?」

 パークスは机を強くたたき、感情を露わにする。

「しかし、あの時の指示は……」

 オールコックは手を挙げて、パークスの言葉を遮った。

「指示? 私は君に、どんな指示を送った? これはニール君にも言える。ここで口裏を合わせておかなければ、状況はさらに悪化する。いいかね? よく思い出すんだ」

 オールコックは2人の顔を交互に見て、諭しながら言った。

「私たち3人は、あくまで国益のために、いいかね? これは絶対に譲ってはならない点だ。国益のために行動した。私の場合は、知らないといってもさすがに通らないだろう。だから、それは認める。しかしピストルを使っての威嚇射撃など、一切覚えがない。まったくあずかり知らぬ事だ」

 ニールとパークスの2人は驚いて顔を見合わせる。

「え? しかしあなたが全部指示したのでは?」

 ニールが聞き返した。

「いいかねニール君、私は聞かれないことは答えない。これは嘘をついているのではない。わかるだろう? そして相手に判断を委ね、具体的な事は決して伝えない。なぜかわかるかね? 責任の所在をあいまいにするためだ」

 オールコックはため息とともにニールに説明した。

「それを踏まえて、もう一度考えてみなさい。ニール君、パークス君。生麦事件は誰に何を、どう聞いたのかね?」

 2人は考え込みながら当時を思いおこす。

 やがてパークスが声をあげた。

「最初は、ニール代理公使からの依頼でした」

「うん、それで?」

 オールコックは次を促す。

「生麦で銃を発砲したイギリス人2人が上海に逃げているかもしれないので、捜索して捕らえてほしい、と」

「ニール君、間違いないかね?」

「間違いありません。依頼しました」

 ニールも自分の言動を思い出しながら、パークスの発言を認めた。

「それから捜索中に再度横浜から依頼があり、日本から捜査機関が上海にくるので、捜査に協力してほしいと。しかしこれは私の一存では決められないので、北京へ伺いをたてました」

「うむ、次は? ニール君、OKかね?」

 問題ありません、とニールは答えた。

「そうこうしているうちに日本から来た一団と確保した2人の奪い合いになり、紅幇ほんぱんが2人を口封じのために殺したんです。領事館員だったアーサーは流れ弾に当たって亡くなったと聞きましたが、生きていた」

 そこまで話してパークスは暗い顔になり、下を向いた。

「紅幇? あの紅幇かね? パークス君、君は殺害を依頼したのか? その紅幇とやらに」

「とんでもない! なんてことを!」

「ふふふ、そうだろうね。それなら君にはまったく落ち度がないじゃないか。何を恐れる事があるんだ? ちなみにその紅幇の、実行犯はいまどこに?」

 オールコックの顔が徐々に余裕に満ちていく。

「以前確認したら清国の遼東だか山東だかにいるようです」

「ならばまったく問題はない。日本は清国と国交を結んではおらんし、領事館員と生麦の襲撃犯の殺害は、日本にとってどうでもいい話だ。君とその紅幇との会話が漏れることは万に1つもない」

 パークスの顔が明るくなっていく。

「領事館員の事は残念だが、それはあくまで不慮の事故だろう? 日本側との銃撃戦も、知らぬ存ぜぬで通せばいいのだ。君は日本人を殺せなどと言っていないのだろう?」

「もちろんです」

 パークスは即答した。

「さて次はニール君、君だ。君の場合はどうだ? 私はなんと言った?」

 ニールは頭の中を整理し、ゆっくりと話し出す。

「指示ではなく、卿が帰国される前におっしゃっていたことを思い出しました」

「ほう、私はなんと言ったかね?」

 パークスは椅子にもたれ掛かって天井を眺めている。

「はい。私が日本は難しいですね、と問いかけると、『うまく行くように仕向ければいいだけのこと』とおっしゃいました」

「……何も問題はない。私は確かにそう言った。そしてそれは、外国奉行を領事館に招いて酒や食事を振る舞い、珍しい品々を贈ることもそうだ。極端に言えば娼婦しょうふを充てがうことだって、そう言えるじゃないか」

 ははははは! とパークスは笑った。

「それは良しとしよう。その次は?」

「その後は日本側との交渉になりました。もちろん、突っぱねましたが」

「うむ。それでいい。その後君は日本を出国するまで、私と連絡をとったかね?」

 ニールは不思議な顔をしたが、すぐにNoと返事をした。

「ならば君もまったく問題はない。不確かな情報であるし、国益を損なうことのないよう行動したのだろう? 上海にもちゃんと連絡をしているし、その後も証拠のないことにはYesと言わなかったのだろう? これも本国の指示だ」

 オールコックはパークスとニールの2人に全く問題ないと伝え、最後に自分の話をした。

「確かに私は無法者を使って行列を妨害させた。しかし銃の所持と使用は2人が勝手にやったのだ。私はまったく関与していない。よって私が責められるとすれば、2人を雇って妨害するよう指示したことで、それ以外はまったく関与していないのだ」




 3人はそのシナリオで証人喚問に出頭することが決まった。




 次回予告 第354話 『首里城下ふたたび。証人喚問』

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