第362話 『賠償金の振り分けとアラスカと万博』
慶応元年九月七日(1865/10/26)
証人喚問も終わり、イギリスとの賠償金交渉も終わった。
しかしこれは、あくまでも終戦。
イギリスとは断交状態である。
ガウワーは賠償金の一括支払いをもって国交の回復を要望してきたが、次郎は一蹴した。
条件は受け付けない。
一括か分割かの選択肢は、イギリスにはないのだ。
一括で支払うことと、国交の回復には何の関係もない。
「世界の大英帝国が300万ポンド程度払えないはずはないでしょう? 清国からも、インドからも、世界中から絞りとっているのですから」
結局、一括支払いと同時に捕虜の返還が行われる取り決めとなったのだが、本国であるイギリスに戻りたくない者もいた。
鹿児島湾海戦で降伏してきた一等海尉のホレイショ・オーブリーや、奄美大島で捕虜生活を送った二等海尉のジョン・スミスらがそうである。
ちなみに海軍少将のジョージ・キングは帰国する意向だ。
■江戸城 御用部屋
「さて、賠償金の内訳でございますが、英国の前首相と前外相を琉球へ呼んだために、減額となり申した」
次郎は仕方がないと前置きをして発言したのだが、面々は複雑な表情をしている。その表情は、減額よりも譲歩に対して表れていたのかもしれない。
外交を知らないからこうなる。
外国奉行の面々ならこんな顔はしないだろう。
ディールだよディール。
確かにあの状況なら、強気で攻めて無条件で二人を引っ張り出せたかもしれない。
しかし強気に出過ぎて、イギリスが突っぱねたらどうするんだ?
可能性は低いが、イギリスが継戦する可能性も0ではなかった。
その辺の見極めをしたうえでの減額なのだ。
外交の機微だよ機微。
そう次郎は思いながら、丁寧に説明した。
実際に賠償金の割り振りをしたのだが、幕府や各藩から文句など出るはずがない。
なにせ戦費のほとんどを大村藩が捻出しており、艦隊の運用費用と物的・人的損害以外は大村藩がとってもおかしくはないからだ。
実際の分配は以下のとおり。
・大村藩(艦隊運用42,488ポンド+艦船修理費用21,200ポンド+台場修復費用41,600ポンド)
105,288 ポンド
・幕府(艦隊運用9,110ポンド+艦船修理費用2,650ポンド)
11,760 ポンド
・薩摩藩(艦隊運用12,142ポンド+艦船修理費用15,900ポンド+死傷者賠償金額46,750ポンド)
74,792 ポンド
・長州藩(艦隊運用12,142ポンド+艦船修理費用2,650ポンド+死傷者賠償金額38,250ポンド+台場修復費用10,400ポンド)
63,442 ポンド
・佐賀藩(艦隊運用9,107ポンド+艦船修理費用10,600ポンド)
19,707 ポンド
総合計274,989 ポンド
賠償金の総額が2,903,000ポンドのため、残額は2,628,011ポンドとなった。
正直なところ全額もらっても大村藩としては赤字である。大砲を製造して各所の台場に大砲を設置、同じく艦艇に搭載しているのだ。それだけで290万ポンドを超える。
例えば、これが同じ比率で資金もしくは武器弾薬を供出しているなら話は簡単だ。
損害分を埋めていき、残った金額を等分にすれば不満もないだろう。
しかし、実質の損害補填ほてんは済んだ。
それに台場の大砲しかり、艦載砲しかり、設置した物は残るのだ。
貸与しているのでいつかは返却してもらう建前だが、これは国防の点で考えると厳しいだろう。日本国として不利益になるからだ。
しかしそのままだと大村藩にとっては膨大な手出しとなり、だからといって貸与料を徴収したとすれば、幕府からも徴収しなければならない。
そうなればもはや江戸幕府ではない。大村幕府だ。そんな形は幕閣の誰も望まないだろう……。
幕府はもちろんだが、他の藩もそれを良しとはしない。
最終的に賠償金の大部分は大村藩が受領し、その代わりに大砲は貸与ではなく供与となった。ただし幕府には10万、薩摩・長州・佐賀には5万ポンドずつの名目上の戦利金としての分配がある。
幕府が他の藩より多いのは、これは日本国として行われた戦争であり、最初から最後まで、交渉は日本国として行われたからだ。
格式や名目が幅をきかせている時代である。どうしてもそこを考慮しないと、あとあとギクシャクしてしまう。
大村藩、105,288+2,378,011=2,483,299ポンドである。
あらためて幕閣はもちろん、西国諸藩の大村藩に対する認識が『日本国内外国』であり、畏敬の念とともに警戒するべき対象となった。
■大村
次郎は大村へ純顕とともに帰っている。
日英戦争は大村藩にとって大きな支出であったが、8割は賠償金で戻ってきた。もともと財政基盤ができあがっていたので、資金不足になるわけでもなく、平常に戻ったのである。
「殿、将兵には交代で休みを与え、十分にねぎらうのが肝要かと存じます」
「うむ、良きに計らえ」
次郎は純顕にそう提案し、戦勝祝賀パーティーとは別に報奨金を出してねぎらった。
休みは……次郎本人も休みたかったのは、口には出さないが、事実である。
<次郎左衛門>
「はああ、やっぱりここが落ち着くねえ……」
縁側のポカポカした陽気のなかで、正妻の静に膝枕されながら、オレはつぶやいた。
「あなた様はお役目で日本中を走り回っているのですから、家にいるときくらいは楽にしてくださいな」
静は良妻賢母だ。
いや、お里がそうじゃないって意味じゃないよ。
お里もいい。
違った意味でね。
「ゴメンクダサイ」
「はい……どちらさまですか……まあ!」
驚いた次女の方を見ると、そこには青い眼の青年がいた。
「……おお! まさか、アレクサンダーか?」
6年前の安政六年三月二十日(1859/4/22)に来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男、アレクサンダー・フォン・シーボルトであった。
父であるシーボルトは帰国していたが、アレクサンダーは駐日英国公使館の通訳を務めていたのだ。日英の開戦にともなって公使館が閉鎖されたが、ドイツ国籍のアレクサンダーは解雇されている。
開戦前はお互いに仕事があったし、開戦後はさらに忙しくなって会うことはなかった。
「お久しぶりです、ジロウサマ」
「いやあ、大きくなって……」
異母であるお瀧さんは老齢だが存命で、異母姉のイネは現役の女性医師だ。
あ、そうなると一之進の弟になるな。
「そうだ、一之進とは仲良くやっているのか? あいつは医学バカだからな」
「はい、良くしてもらっています。路頭に迷っていた私をすぐに呼び寄せてくれましたし」
「ああ、それはすまなかったな。もう少し気にかければよかったんだが、なにせ忙しくてな」
「いえいえ、それよりも、ご戦勝おめでとうございます」
「ありがとう」
久しぶりにあったアレキサンダーは、本当に好青年に育っていた。幼いかわいらしい少年だったのが信じられない。それにしてもこの年で通訳なんて、オレからすりゃあ考えられないぞ。
「殿、至急の電文が入っております」
助三郎が手に電信文を携えてやってきた。
「え? なに? 今いないって言って」
まったく、せっかくの休暇なのに、勘弁してくれよ。
「殿、居留守は通じませぬぞ。電文なのですから証拠が残ります」
「……わかっておる。どれどれ」
――発 箱館奉行所 宛 六位蔵人
ロシア領事より、アラスカ売却の件進めたしとの連絡あり――
――発 小栗上野介 宛 六位蔵人
フランス公使より、万博の件につき相談あり。出展の可否、可ならばその品物を吟味いたしたく、ご協力されたし――
「助さん、急に頭が痛くなった。どうも熱っぽいようだ。腹もいたいし下痢気味だ。一之進に診てもらって、休んでからいくと返信してくれ」
「……かしこまりました」
――発 六位蔵人 宛 箱館奉行所並外国奉行所
委細承知、しかれども頭痛あり。熱ほとおり(熱っぽく)て、腹の痛みに泄瀉せっしゃ(下痢)ありき。しばし静養ののちに参上いたしたい。――
すぐさま『大丈夫か?』という各方面からの電文が相次いだのは言うまでもない。
助さん、真面目に書きすぎだよ。
次回予告 第363話 『土地の相場とロシアの財政』