小学校の教育課程は肥大化しつつあるが、学校と子どもの時間や能力の限界という現実を加味して取捨選択が必要と思う。

 小学校教員経験や海外経験から、教育課程の分量や内容について、海外に比べて充実しているのに、肥大化しつつあると感じていた。

 私が海外で聞いた範囲の話だが、インターナショナルスクールの算数や数学の授業は、日本のカリキュラムが出来ていればついていけるそうだ。(そうでないという情報があれば教えて頂けたら有り難いです。)他の教科はそもそもの言語やカリキュラムが違うために比較が難しいが、特に小学校で考えると、一斉授業や詰め込み教育など日本の教育を批判される事が多いが、教科書やドリルなどに沿って、大多数の子どもが高いレベルの内容を丁寧に教えてもらっているという印象がある。(違うという情報があれば教えてくださいませ。)

 それに加えて、小学校教員の時は、総合、外国語、プログラミング、道徳の教科化、タブレット学習など、学ぶ事が増えたり、学び方が増えたり、肥大化して消化しきれていないと感じていた。

 子どもが学んだ方がいい事は無限にあるが、学校と子どもの時間や能力の限界という現実を加味して取捨選択が必要だと思う。

 私個人の意見としては、読み書き、計算は、全ての基礎になるので、丁寧に小学校で積み上げていく事が大切だと思う。

 ただ、タブレットかノートかで言うと、実は道具の違いであって思考力や計算力の違いはあまりないと思っている。ノートで計算できる子はタブレットでも計算できる。ノートに正しく文章が書ける子は、タブレットでもできる。逆も然りである。頭の中で読み書き計算が出来る力をつける事が大切で、それをどんな道具で行うかは教育の場面では実は重要ではないというのが私の実感だ。

 あと、学ぶことを外国語、プログラミングなど増やしても、まず体系的に学んで指導できる人が居ないと子どもたちは伸びないと思う。小学校教員は外国語は学んでいるものの人に教えて一定の能力以上に引き上げた経験が少ない。プログラミングに至っては体系的に学び習得したことがない人が大半だ。

 また、基本的に母語の日本語である程度の語彙力や論理的思考力を身につけていないと外国語も伸びないし、プログラミングも理解できないと思う。

 そう考えると、外国語は話す聞く力が伸びる時期である、異文化理解など小学校でする意味はあると思うが、プログラミングを小学校から教える必要は無いと思う。

 小学校で基礎的な学力を高めた後、中学や高校からプログラミングを含めて職業選択に繋がるような専門性の高い教育を選択制でする方が良いと思う。

 私には理解できないが、プログラミングが今後の基礎的な学力の一部として必須なのであれば、教えられる人材の確保と、その分他の教科で時代にそぐわない部分を減らす必要があると思う。

 中学校で選択的に学ぶという話に戻るが、今、中学の内容を選択制に出来ないのは高校受験があるからだと思う。ただ、これも個人的な実感だが、中学高校の内容は教養としては役立つが実生活では職業として研究者や専門職につかないと使わない。つまり、社会生活を営む上で必要な知識を得るためであれば、今のような高校受験の形をやめて中学生から教科は選択制で良いのではと思っている。(高校受験のシステムはどう変えたら良いかまだ考えがまとまっていない。)

 そして、その先の学歴による雇用形態の差やそれに伴う給与の差が無くなれば、中卒でも高卒でも大卒でも大学院卒でも給与に差がないなら、働く分野によっては早めに就職して専門的なスキルを伸ばした方がお金を稼げるという判断もあるだろうし、学びたい分野があれば高等教育を受けてからその分野で働いても良いし、経済格差による進学の差や就職や雇用における学歴差別がなるべく小さくなるような社会があれば、安心して自分の専門性を若いうちから伸ばせたり、長い時間勉強した割に就職にも仕事にも活かされない学校と社会のギャップも今より埋められるのではと思う。

 小学校のカリキュラムについて論じているうちに話が広がってしまったが、実際に小学校のカリキュラムはその先の教育システムや働き方や社会まで繋がっていると思う。

 教育システムと働き方が、より子どもたちの実態と実社会に合ったもので、より幸せに生きられる人が増えるような価値観や制度を引き続き考えていきたい。

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