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学活と総合

学活と総合のちがい、知ってますか?

 学校現場で働く先生たち、何となく学活や総合の授業をやっていませんか? その違いは、歴史的背景を知ることなしには分かりません。簡単に整理してみました。よかったら読んでみてください。

学活と総合

 どうでしょう? 特活と総合には、実はスバラシイ理念があるんです。
 特活の目的は「自主性や自治意識を育てること」であり、
 総合の目的は「人間として大切なことを、教科の枠にとらわれずに学ぶこと」です。

 本来は現場の裁量で内容を決めるべきもので、クリエイティブな授業を行う余地のあるものです。目的さえブレなければやり方は自由なはずなのに、実際には目的がよく分からないまま、やり方だけそろえがちです。

 「こういう授業は特活じゃない」とか「総合ではこういう授業をするものだ」とか、授業の形式にこだわることが重要なのではなく、目的と理念をしっかり理解し、教育的意図をもって授業をすることが重要です。
 例えば、学活の指導案をキレイに作って、子どもを指示通りに動かすなんていうのはナンセンスです。それよりも、鬼ごっこをさせて、足の遅い子でも楽しめるようなルールを自分たちで考えさせる、というようなものが本来の学活です。

 実際には総合も学活も一括りにやっていくことが多いと思いますが、背景にこういった理念があることを意識しておくと、「これ何のためにやってるんだろう…」と疑問をもちながら授業をすることがなくなると思います。
 また、担任裁量でできる学活のときは、腕の見せ所です。「うわぁ、何やればいいんだろう、困ったなぁ」ではなく、「うわぁ、何やろっかなぁ、楽しみだなぁ、ウヒ♪」って思えるようになれたらシメたものです。


【余談】道徳について


 道徳が設置された歴史的背景はまったく別物です。戦後すぐの頃は、「もう二度と戦争しない国を作る」ことを目指し、生徒の自主性や自治意識を育てる民主主義教育が目指されました。
 しかし冷戦によって、アメリカの占領姿勢が変わります。それに合わせ、戦前の指導者岸信介(安倍晋三の祖父)が首相となり、教育も方向転換されます。そして1958年、戦前の「修身」の内容を範として週1時間の「道徳の時間」が導入されました。近年の道徳教科化は安倍首相が祖父の念願を果たした、とも言えるものです。


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