サンナ・マリン(フィンランド首相)さんを知ってますか?
サンナ・マリン首相、2020年頭メッセージ
The strength of a society is measured
not by the wealth of its most affluent members,
but by how well its most vulnerable citizens are able to cope.
The question we need to ask is
whether everyone has the chance to lead a life of dignity.
「社会の強靱さは富裕層の財産によってではなく、もっとも弱い立場にある市民がいかに生きられるかによって測られなければならない。問われるべきは、すべての人が尊厳ある生き方を出来るかどうかです。」
こういうことがサラッと言えるリーダー、カッコイイですね。「お金を儲けることが人生の目的」という価値観で突っ走ってきた世界が限界を迎える中、「そういう価値観は間違っている。誰もが尊厳ある生き方ができる社会を目指すべき」という若いリーダー(1985年生まれ)が登場してきたことは歴史の流れの中、必然なのかもしれません。そして、それが北欧からということも。
彼女は貧しい家庭に育ち、「フィンランドの福祉と教育制度がなければ、ここまでくることは不可能だった」と語っています。彼女を育てたのは母親とそのガールフレンド。つまり母親が2人。人権意識の高いフィンランドでも、子どもの頃は差別的な視線も受けたようです。しかし彼女がロールモデルを示したことで、差別は縮小していくでしょう。
フィンランドでは今後さらにジェンダー平等が進み、福祉や教育などもますます充実していくと思います。ついでに言うと、マリン首相は正式な結婚はしていませんが1歳の娘の子育て中。結婚という制度に縛られないこと、子育て中の女性が責任ある仕事を諦める必要がないこと、それを社会が認め支え合うこと、どれも北欧では普通のことなんですね。
日本のジェンダーギャップ
日本はジェンダーギャップ指数(男女平等度)世界121位(153ヵ国中)。日本の中だけで考えていると「当たり前」のようになっていて差別とは気づいていなくても、世界(特に欧米の基準)から見れば差別がたくさんあるということです。政治家や企業役員は圧倒的に男性優位。ルールを決める側が男性なのだから、悪気はなくとも女性目線の配慮は難しいですよね。
(列挙するとキリがないのですが、例えば私が育休をとったとき、「育児は女性がするもの」という前提で社会がデザインされていることを実感しました。男性トイレにオムツ交換台がなかったり・・・)
「女性目線」という話とは違いますが、私の勤務する学校では障がい者用トイレが4階にあります。これも設置した人に悪気などあるはずありませんが、作る前に障がい者の方の意見を聞いていれば、ありえない意思決定です。
ルールを決める側に女性だったり、障がい者だったり、社会の中で不利な立場に置かれている人たちが少ないので、当事者の困り感とは的外れな対応がとられることがあります。そして当事者が「こうしてほしい」「これはおかしい」と主張すると「ワガママだ」「逆差別だ」などとバッシングされたりするので、声を上げること自体が難しい社会となっています。
そういう意味では、重度障がい者の方が国会議員になったことには歴史的な意義があります。当事者が堂々と声を上げられる社会への第一歩となることを期待しています。
日本では、悪意に満ちた差別はそれほど多くないと思います(ネットの中はひどいですし、ヘイトスピーチを垂れ流すクソもいますが)が、すべての個人が対等であり、尊重すべき存在であるという意識はとても低い国です。
社会の中で強い立場にいる人たちは、弱い立場の人たちを上から「助けてあげる」ことには熱心です。しかし当事者が「自分の言葉で権利を主張」し出すと、途端に不機嫌になります。
北欧に学び、まずは国会議員の半数を女性にしたいですね。
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