『「こどもが主語」の学校へようこそ!』
今から20年ほど前のこと、中学校で美術を教えていた私は、土曜日に同僚の先生と「コーチング」のワークショップに出かけました。仲のいい先生とランチして、そのあとでワークショップだったか、それともワークショップのあとでランチだったか、よく覚えていないのだけど、正直その研修会よりはランチしながら日々のいろいろをお喋りするほうが楽しみ、という感じで出かけました。当時はまだ管理職になるなんて考えも全く持っていませんでした。
コーチングは何度か受講していたので、リラックスして楽しく学べました。研修の終盤、自分の夢を紙に書いて、他の参加者とシェアするというワークがありました。そこだけは今でも鮮明に覚えています。
私は、自分の紙に「いい学校をつくる」って書いていました。
書いてから、「えっ、何でこんなこと書いちゃったかな……」と思ったのだけど、手にしているのは太字のサインペンで、消すわけにもいかず……。
他の参加者の方と交流タイムになり、他の人のお話を聞くにつけ、「そうそう! 私も海外旅行に行きたいって思ってたんだよ」とか「1年間有給もらって、絵を描いたり美術館に行ったりするのもいいな」とか「あのちらかった家の整理整頓と庭づくり、のほうがよかった」といろいろな思いが頭をめぐり、「なのに、なんで私はこんなことを書いてしまったんだろう……」とちょっぴり途方に暮れたのです。見栄を張ったわけでも、カッコつけたわけでもなく、手が動いてしまった、という感じでした。
でも、もしかしたら、学校が楽しそうではなくて休みがちなわが子のことや、当時担任していた学級で気になる生徒のことを思い出していたのかもしれません。
2023年の春に、私は、中学校を定年退職しました。最初に教員になった年、学校に行くのがつらい日もあり、やめたいな、と思ったこともありましたが、38年が経っていました。私は、前述のワークショップで「いい学校をつくる」とうっかり書いた数年後、教頭に昇任し、これまた苦労して7年間、教頭をつとめてからやっと校長になりました。校長は2校7年つとめました。
2023年10月に公表された、2022年度の全国不登校児童・生徒の数は30万人に迫り、これまでで最多と報道されています。
30万人……私が住む町の人口の約2・8倍。秋田県秋田市、東京都豊島区の人口に匹敵する数の子どもたちが学校に行けずにいる。または行くことをやめている。
とんでもないことになっている、とメディアはこのことを憂い、SNSでの投稿もたくさんされています。そして、原因を探そうとしています。何年も続いた新型コロナウイルスの影響とか、子どもたちや家庭の価値観が変わったとか、さまざまな意見があります。
私は学校に行かない、行けない状況は、子どもたちが学校というものに下した評価だと考えています。
学校に行くことで、自分が損なわれそう、誰も歓迎してくれていない気がする、自分の居場所がない、そして、誰も助けてくれないのなら、足は向かなくなる。リスクがあるかもしれない環境に足を踏み入れるのは、その危険を冒してでも行きたい魅力的な何かがあるから。ないなら行かない。お客が来なくなった店は、商品、店の雰囲気、接客を変えないと潰れる。学校がいつの間にか息苦しいところになっている。それでも我慢して通うほどのインセンティブは、なくなった。
だったら、学校が変わることでしか、解決策はないのではないか、と考えました。
そして、その変わり方はいたってシンプルでいいんじゃないでしょうか。「子どものために」という思い込みのもとでやっていたこと、「子どもより大人主語」でやっていたさまざまなことを手放してみる。たとえば、学校だけのハウスルールをできるだけ取り払う。学校と学校の外の社会との段差をできるだけなくしていくことは、財政が厳しいとか、人が足りないといわれる状況でもできることでした。
中学校に長くつとめていて、ふり返ると私たちは、子どもたちに「命令文+or」の言葉かけをしてきました。中学校1年で学ぶ「〇〇しなさい、さもなくば……」という構文です。勤勉でなければ社会に出たときにうまくいかないとか、提出物を期限を守って出せないと社会人として失格と言われる。そんな言葉を使って子どもたちに説教したものです。でも、忘れ物や遅刻が多かった子どもが10年後、20年後にどうなったか、追跡調査の結果を見たことがありません。
権威として生徒の前に君臨するのはやめてみよう。
子どもたちのことは子どもたちに聞いてみてはどうだろう。学校と社会をフラットに。委ねる、任せる。私たちがやってきたのは、コストもかからないシンプルで小さな改善です。それを重ねることで、子どもたちだけじゃなく、学校の大人たちも少しずつ変わってきました。もちろん、理解し支えてくれた保護者、地域の方々の力も大きかったです。
「教育」を主語にすると、とても大きな話になって、「こうあるべき」が続いてしまいがちなのだけど、私たちが学校でできる「教育」とは、毎日子どもたちの顔を見て、精いっぱい手を伸ばして、手をつなぐ。肩に手を置いて、共感したり励ましたりする。そんな距離感の子どもたちを支援する、地道で小さな営みです。学校教育も家庭教育も本当にローカルでドメスティック。
特効薬なんてない。そばにいて、家族でもない私たち大人が、あなたを大切に思っているんだよ、と伝え続けたい。そんなふうに誰かに慈しまれた思い出を抱えてタンポポの綿毛のように、彼らは世界のどこかに飛び立つことができるんじゃないか。
そんな思いで、進んできた学校の話です。
ちいさなちいさな種が、土に落ちてやがて芽吹くように、子どもが主語の学校が増えてくれたら、と願っています。
著者 森万喜子(本書『はじめに』より)
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