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『PTAでもPTAでなくてもいいんだけど、保護者と学校がこれから何をしたらいいか考えた』

PTAに悩んでいるみなさん、保護者と学校の関係をゼロから考えてみませんか?

保護者と学校が協力する場といったら、PTAでしょ?
みんななんとなく、そう思ってきました。保護者も教職員の人たちも、それが当たり前だし、ほかに選択肢はないかのように信じてきました。
でも改めて考えてみると、いまのPTAで、保護者と学校は、実際に何を協力できているんでしょうか。

そもそも「保護者と学校」には、どんな関係が必要なのか。その必要な関係性を実現するためには、どうすればいいのか。PTAは何をしたらいいのか、あるいはPTA以外に、どんな場があればそれを実現できるのか――。

本書では、PTAについて多くの保護者や学校関係者等に取材・発信を続けてきた著者の大塚玲子さんが、「PTAは要るのか、要らないのか」といった議論をいったん脇に置いて、PTA問題の「そもそも」である「保護者と学校の関係性」について、さまざまな立場から学校・PTAに関わってこられた方々にお話をうかがいながら、ゼロベースで考えていきます。

大塚さんの、保護者と学校の「これから」を探すそれぞれの旅への入り口をご案内します。

*以下、本書『PTAでもPTAでなくてもいいんだけど、保護者と学校がこれから何をしたらいいか考えた』より一部抜粋。無断転用禁止。

Part1 覚悟を決めた校長からみたPTAあるいは保護者と学校

PTAなしで始まった大空小――「やる人がいてへんかったら、必要ないんちゃう?」(木村泰子さん)

最初にお話を聞かせてもらったのは、木村泰子さんです。私が泰子さんを知ったのは、映画「みんなの学校」(2015年)を観たのが最初でした。

泰子さんは2006年に新しく生まれた、大阪市立大空小学校に初代校長として着任。教職員やサポーター(地域の人々や保護者)とともに、「すべての子どもに居場所がある学校」をつくってきました。すると大空小では、他校ではいわゆる「不登校」だった子どものほとんどが、通えるようになっていったのです。

そんな大空小の実践を伝える「みんなの学校」を観て、私はすっかり泰子さんの大ファンに。本書の一番に登場してもらうのは、本音しか口にしなさそうな、この元校長しか考えられませんでした。

さあ、一体どんなお話が出てくるのでしょうか。

保護者を待ち続けた校長の覚悟――「PTAを変えたい」が出るまで対話した理由(住田昌治さん)

これまで私は、主に会長や役員さんなどの保護者に、PTA改革の取材をたくさんしてきました。このときよく感じていたのが「変われたPTAの傍らには、ほぼ間違いなく“覚悟を決めた校長”がいる」ということです。

校長先生の側から見たPTA改革って、どんなものなのか? 誰かにお話を聞かせてもらえたらうれしいなと思っていたところ、紹介してもらったのが住田昌治先生(当時は横浜市立日枝小学校校長)でした。住田先生は「元気な教職員」をつくることで「元気な学校」をつくった校長です。

住田先生が初めて校長として着任した横浜市立永田台小学校のPTAは、強制参加をやめ、加入についても会員の意思確認をする形に改めたといいます。保護者たちはそれをどう実現し、住田先生はそれをどんなふうに支えてきたのでしょうか。

なぜ対立する? 保護者と先生――互いに求められる「知らせる努力と知る努力」(新保元康さん)

SNSではよく、保護者と学校の先生がバトルしているのを見かけることがあります。立場が違うからそこは仕方ないね、と思うものもありますが、「いやぁ、それは学校が保護者にちゃんと説明すれば済むだけなのに」と感じることも少なくありません。保護者に情報を与えず「なぜ保護者はわからないのか」と先生が苛立っていることは、意外と多い印象です。

先生たちは何しろ忙しすぎて、そのことに気づく余裕すらないのかもしれませんが、保護者に必要な情報を適切に届ければ、結果的に先生の仕事も減り、忙しい保護者たちも無駄な時間ロスを省けるはずです。もどかしい。

そこで取材をお願いしたのが、札幌市の小学校で校長をしてきた新保元康先生です。ICTを活用した働き方改革を進めたことで知られる新保先生は、保護者との関係においてもコミュニケーションや情報共有をとても大切にしてきたのだとか。

NPOや公益財団法人の理事として忙しく飛び回る新保先生に、保護者と学校に必要と思うことを聞かせてもらいました。

PART2 CSはPTAをどうしたいのか 両方いるの? いらないの?

「PTAは学校のお手伝いではない」――地域学校協働活動とPTAがかぶらないワケ(井出隆安さん)

PTAや学校の取材をするなかで感じてきた、ある疑問がありました。

文部科学省は20年ほど前から、全国の学校にコミュニティ・スクール=学校運営協議会(CS)の設置を呼びかけています。これは簡単にいうと、地域住民や保護者が学校運営にかかわる仕組みのこと。さらにこれと併行して、地域の人たちが学校をお手伝いする「地域学校協働活動」という仕組みづくりも推進してきました。

でもそれって、PTAとかぶるのでは?

とくに地域学校協働活動は、これまでPTAがやってきたこととだいぶ近い印象です。PTAは行政から「社会教育関係団体」と呼ばれるものの、現実には、先生たちも保護者たちも「学校のお手伝い」という認識が濃厚です。だとしたら、地域学校協働活動とPTA、両方は要らないのでは。

そもそも文科省は、最初に地域学校協働活動を考えたとき、PTAとどういうすみわけにするつもりだったのか? もしかするとPTAと地域学校協働活動を一本化したかったのか? もしそうなら、それはそれで納得するんだけど…などと、私がブツブツ言っていると、こんな話を教えてもらいました。
地域学校協働活動は、東京都杉並区の「学校支援本部」という取り組みをもとに始まったものだというのです。

そこで今度は、2006年4月~2020年3月まで杉並区で教育長を務めた井出隆安さんにお話を聞かせてもらいました。「学校支援本部」はどんな位置づけで始まったのでしょうか?

必要なのは「校長の辛口の友人」――CSを前提にPTAの役割の見直しを(四柳千夏子さん)
 

前項では地域学校協働活動のことについてお話を聞いてきましたが、今度はコミュニティ・スクール=学校運営協議会(CS)について考えてみます。

CSは、校長先生の話をただ聞くのでなく、なんと「保護者を含む地域住民の声を学校運営に反映する」というもの。「PTAはお金だけ出して、後は黙っていてほしい」というよくある扱いに慣れてきた保護者からすると、まばゆくすら感じられます。

今回はCSの発祥地、と言われる自治体のひとつ、東京都三鷹市で長年CSにかかわってきた四柳千夏子さんにお話を聞かせてもらうことにしました。

現在文科省の委嘱で「CSマイスター」をしている四柳さんは、20年ほど前から、幼稚園や小・中学校のPTA会長、地域コーディネーター、CS委員会の会長などを務めてきました。いろんなことがありましたが、「みんなで話し合って何かを生みだしたり、議論して結論を出したりすることが、とにかく楽しかった」とか。CSを初めて体験したのは2009年春、中学校のPTA会長をしていたときでした。最初は「CSって何?」とよくわかりませんでしたが、やっているうちにだんだんと「学校が目指す教育目標や計画について協議し、承認する」という役割を認識したといいます。

四柳さんはいま、CSやPTAの役割を、どんなふうに考えているのでしょうか。

CSは画期的かPTAの二の舞か?――保護者も教職員も法律を「使いこなす」視点を(岸裕司さん)

岸裕司さんの著書『学校を基地にお父さんのまちづくり』『「地域暮らし」宣言学校はコミュニティ・アート!』(太郎次郎社)は、私が約10年前、PTAのことを調べ始めたばかりの頃に手にした、思い出深い本です。

よくある「母親の苦役としてのPTA」とはまったく異なり、父親・地域の人たちが自らの意思で生み出す活動や実践はいかにも楽しく、読みながらワクワクしたものです。

岸さんが千葉県習志野市の秋津小学校でPTAにかかわり始めたのは、1980年代半ばのこと。きっかけは、子どもたちの人気者だった用務員さんの失職だったとか。PTAの規約改正を行い、次第に地域住民も巻き込んで活動を広げ、やがて岸さんらの実践は文部科学省が進めるコミュニティ・スクール(CS)の元祖、のひとつとなったのでした。

では、これまたCSの発祥地のひとつとされる東京都三鷹市の四柳千夏子さんにお話を聞かせてもらいましたが、私の疑問をさらに追究するため、岸さんにもお話を聞かせてもらうことに。岸さんも四柳さんと同様、文科省の「CSマイスター」をしています。

CSの何に私がひっかかっているか、事前に伝えていたところ、岸さんはパワポの資料を用意して取材にこたえてくれたのでした。

PART3 「保護者の権利」という視点でみる 学校とのかかわり

“保護者”はそもそも何を保護?――欧州の学校で保障される保護者の関与(リヒテルズ直子さん)

「外国の学校における保護者と学校の関係についても、取材してみませんか?」との編集部からの提案で取材をお願いしたのが、オランダ在住の教育学者・リヒテルズ直子さんです。「オランダの教育では保護者が学校に参加するのは当たり前。背景を聞いてみては?」とのこと。

「参加」といっても、日本のそれと、中身が違うのでは? お手伝いじゃなくて、話し合いなら全然別だよね、と思いましたが、なかには「備品の整理」など、日本のPTAがやる「お手伝い」に近いものもあるようです。え、そうなのか。

うーん、迷いました。おそらく今の日本とはまったく違うベースの上に成り立つ「お手伝い」、あるいは「学校への参加」は、実際よいものなのかもしれません。でもそれを日本でただ紹介すれば、「やはり保護者は学校のお手伝いをするべきだ」というおなじみの「いい親像」に回収され、保護者、実質母親の負担を増してしまう気がします。

でもやっぱり気になるは気になる。

オランダや欧州では、なぜ「保護者の学校への参加」が当たり前とされるのか? それは誰にとって、よいことなのか? 欧州のそれと日本のそれは、何がどう違うのか? せっかくの機会なので、お話を聞かせてもらうことにしました。

何度でも問う「PTAは何のため」――学校は保護者を巻き込み「つくり手」に(苫野一徳さん)

公教育とは、民主的社会を支える「自由な市民」を育成し、「自由な社会」を実現すること――。哲学者で教育学者の苫野一徳さんが、著書などでくり返し伝えてきたことです。

苫野さんが示す公教育のあるべき姿は、私が取材を続けてきたPTA改革(PTAそのものではなく)と、まさに重なると感じていました。PTAで泣く人が出なくなるように運営方法を改めるプロセスは、民主的な社会をつくる努力そのもののように思えます。

あるとき、苫野さんも実は「PTA副会長をやったことがある」という話を教えてもらい、これはぜひ「保護者と学校の関係」をどう考えているのか聞かせてもらわねばと思い、取材をお願いしたのでした。

保護者も「学校の一員」に――校則の見直しに保護者を巻き込む理由(遠藤洋路さん)

2020年、コロナのパンデミックにより全国の学校で休校が続いた折、いちはやくiPadによるオンライン授業をスタートさせたのが、熊本市でした。2017年の熊本地震から着々と準備を進めてきた結果だったそうですが、あのときは全国の保護者たちが「熊本市、いいな」とうらやんだものです。

今回お話を聞かせてもらうのは、その熊本市の教育長、遠藤洋路さんです。文部科学省の生涯学習局に勤務した後に起業し、それから熊本市で教育長になった遠藤さんは、保護者と学校の関係をどうみているのでしょうか。

PART4 そして再び 保護者からみた学校とのカンケイ

不登校の保護者の会をPTAで――「ただ話をする」を一番大切にしている理由(齋藤いづみさん・福嶋尚子さん)

以前取材させてもらった教育行政学者の福嶋尚子さん(千葉工業大学准教授)は、千葉県習志野市立第七中学校PTAで役員をしており、そのPTAでは「学校に行けない子どもの保護者が集まっておしゃべりする会(通称「れんげの会」)を開いている」と聞いていました。

保護者同士がつながりをもてる場は、もっとあっていいと思うのです。学校行事のお手伝いや広報紙の作成などといったおなじみのPTA活動でも、保護者同士が知り合うことはできますが、あくまで「作業」(お手伝い)がメインなので、「必ず来てください」→「パートを休んで泣く泣く参加」みたいなことが起こりがちです。それは違うと思うのですよ。

その点、尚子さんに聞いた「れんげの会」は“おしゃべりそのもの”を目的としているところが、なんだかよさそうです。

なお、七中PTAは数年前に改革を行って強制をやめており、いまや入会も活動も任意です。だから、こういった義務的でない活動が可能なのかもしれません。

ではさて、「れんげの会」はどんな経緯で生まれたのでしょうか? 元PTA会長の齋藤いづみさんと、ともに活動してきた福嶋尚子さんに、聞かせてもらいました。

弱い立場の学校を守ってあげる――保護者と学校の今の関係で何ができるか?(岡田憲治さん)

本書ラストに登場してもらうのは政治学者の岡田憲治さんです。岡田さんはお子さんが通う小学校で3年間PTA会長を務め、このときの経験や思いを『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)につづっています。

政治学者としてPTAで自治や民主主義を実践しようとするも現場はままならず、それでも奮闘を続けた岡田さんの姿に、私も共感したものです。

私が岡田さんに聞いてみたかったのは、主にこの二つです。「保護者と学校には何が必要か」と、「PTAはなぜ民主主義を学ぶ場と言えるのか」。

現実のPTAはむしろ、民主主義とは対極の要素がふんだんです。本人の意思を確認せずに保護者や教職員を会員扱いし、保護者、母親たちに役員の「仕事」を押しつけ、形ばかりの選考委員会で会長や本部役員を決めてしまう。これのどこが民主的と言えるのか。

でも一方で、岡田さんがPTAで取り組んできたことや、私が好んで取材を続けてきたPTA改革は、それはまさに民主主義の実践だと思えます。つらい思いをする人が出ないようにするため、長年の慣習や意見の相違を乗り越え、新たな仕組みを模索する試みは困難ながら、尊いものです(だから好きなんです)。

そんなあれこれをひっくるめて、なぜ「PTAは民主主義を学ぶ場」だと言えるのか。政治学者の岡田さんならうまく言葉にしてくれるのではと思い、お話を聞かせてもらったのでした。

PART5 さあ、どうすればいいのか これからの保護者と学校



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著者の大塚玲子さんが、これからの「保護者と学校」にとって本当に必要なことやその実現の仕方について、保護者のPTA改革を支えられた住田昌治先生と、コミュニティ・スクールの元祖となる実践をされてきた岸裕司さんと共に考え、語らいます。ぜひご覧ください!

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