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【対談】子どもたちも、大人たちも、みんなが互いを尊重し、信頼し合える学校へ


元北海道小樽市公立中学校長
森万喜子

学校法人湘南学園学園長
住田昌治

▽学校はウェルビーイングな場になっているか


 学校は不登校児童・生徒が過去最多、精神疾患で倒れる教師も過去最多……。
住田 毎年、上がり続けています。
 つまり学校がウェルビーイングな場になっていないってことだよね。
住田 表では「学校をウェルビーイングに!」と叫ばれていますけど、実際には現場は火の車です。学校から、子どもも教師もいなくなっている。そしてますます疲弊していくという悪循環となっています。ここからどう抜け出すかを考えないと、ウェルビーイングは絵に描いた餅になってしまう。
 本当にストレスフルな場になってしまっています。
住田 まずは教職員と子どもたちの心身の健康をケアすることを優先していかないと。そのうえで、学校として取り組むことを決めていくという順番がよいと思います。
 その前提を押さえずにいろいろな教育課題への対応をしようとすると、先生たちが病んで休職してしまいます。教育の質の向上はもちろん「よかれ」と思って進められているとは思いますが、やればやるほど先生がいなくなっているのだとすれば、学校教育っていったい何なのか、という話になってしまう。
 枝葉を剪定せずに何でもかんでも繁らせようとするから、幹が細くなり、根っこが枯れ始めてしまっているんです。
「○○教育」も増え続ける一方で、各学校でカリキュラム・マネジメントが大変だという声を聞きます。やらなくていいことを決めてとにかくやめていかないといけないのに、プラスワン思考から逃れられない。よりよくしようと思ったら、より乗せていくことを考えてしまう。
住田 スクラップ&ビルドが苦手だということは昔から言われていますよね。今あるものにうまく融合させていったり、しみこませたりすることがカリキュラム・マネジメントなんだと思うけど。
 そう。全部正面から取り上げることがカリキュラム・マネジメントじゃないんですよ。たとえば薬物乱用防止教育だって、外部講師を呼んで保健や体育の教科でやればいいんです。でも全部乗せようとする。立ち食い蕎麦だって、トッピングを全部乗せたら絶対おいしくないから。
住田 「やらないといけないことが多い」と言うけど、そこは学校のリーダーが全部やらなくてもいいよと調整していかないと。それこそがマネジメントです。「全部やらないといけない」と思っているリーダーも多いんだろうけど。
 学校って、「教育」をすべて学校が担っているように思っているけど、これは錯覚です。子どもの1年365日のうち、学校の占める時間がどれくらいかを見ると、20%強なんです。全然高くないのに、なぜか学校は「あれもこれもしないといけない」と思っていて、先生方を駆り立てている。先生方も「してあげないと」という気持ちになって。
住田 煽られているところもあるよね。「予測不可能な時代だから」、これをやっておかないといけない、と。そうしないと将来生き残れないくらいに言われ続けて、「やらないといけないんだ」というマインドが学校現場にすり込まれているように感じます。学校はまじめだから、そういうことを真に受けてしまう。
 一度立ち止まって、「そもそも「本当にこれをやらないと、子どもたちは生きていけないのか」ということを考えないとね。煽られていることを落ち着いて考えたい。その余裕もないと言われるかもだけど、そうしないとこの流れはとまりません。
住田 すばらしい実践のモデルがあって、それを自校でなんとか同じようにやろうとしていても、必ず自校の実態には合わないことが出てきて、むしろますます疲弊してしまう。
 大事なのは、今の子どもの実態、地域の文化などの自校の実態をちゃんと押さえたうえで、今の自校に合うものは何か、必要なものは何かをみんなで考えてやっていくことだと思います。
 教育は、ローカルでドメスティックなんです。もちろん、リーダーはグローバルな視点も持っていないといけないけど、教育は、まさに学校があるこの地域の、目の前にいる子どもたちのことなんだから。何か「こうやればよい学校ができる」というようなマニュアルなんてありません。
住田 ないない。もしそれがあったとしても、それに合わせようと無理しちゃうから。みんなが疲弊していく悪循環が始まります。
 だからリーダーが見るべきは、自校や地域の実態です。まさにこれがアセスメント。この力をつけていかなければなりません。あんまりキョロキョロしないで、足下を見つめ続けることが、結果的にウェルビーイングにつながっていくのでは。
 地域には、学校のためにいろいろやってくださる方々が実はいらっしゃるんです。校長になってその学校に初めて行ったばかりのときは、そのあたりはよく見えません。でも、地域の人と話したりするなかで、わかってくるのです。そういうことを大事にしたいです。
 地域の人の「学校を支えたい」「子どもたち、先生たちをサポートしたい」という思いを汲み取っていくことです。なんでも学校が自分たちでやろうとするから、無理が生じるし、外からいろいろ言われることにも抵抗を感じるようになります。
住田 今、森さんが言ったように地道に学校をつくっている校長先生方は全国にたくさんいらっしゃるんでしょうけど、価値づけをされる機会がありません。報道で目につくのは目立つ取り組みや施策です。だから、地道に取り組んでいる校長先生たちは、「自分がやっていることは、本当にこれで大丈夫なのか」と不安なんですよね。こういう、自校の実態に合った地道な取り組みこそ大切なんだということを、もっと価値づけていくことが大切です。
「これでいいんだ」と自信を持ってもらい、好循環を生み出して、学校現場や地域が活性化していくという流れにしていきたいです。

▽管理職が相手をリスペクトする


 リスペクトの基本は聴くことだと思います。たとえば自分が初めてその学校に着任したら、「この地域はどうなんですか」「学校にどんな思いをお持ちですか」と地域の人に聴きます。「昔は荒れていて大変だったんだ」「あの人はこんなサポートをしていたよ」といろいろ聴いて、学校をつくっていきます。地域の人はずっとそこにいる「土の人」、教職員はやがていなくなる「風の人」と、木村泰子先生もおっしゃっています。土の人の話が学校の土台になります。
住田 私もずっと公立学校で働いてから、初めて私立学校で働くことになって。私立のことは全然わからないから、もはや「聴きます」ではなく「聴かせてください」という姿勢です。でもこういう姿勢が相手へのリスペクトになるのだと思っています。
 聴く耳があるかどうかが、これからの管理職の大事なポイントですね。
住田 加えて、自分と考えが違う人と出会ったときにどうするか、です。「あの人とは考えが違うから」と除外しようとしたり、「考えていることが間違っているから、教えてやろう」と相手を変えようとしたりするのは、リスペクトではありません。
 自分と違うものをどう受けとめ、受け入れるか。「そういう考え方もあるんだな。大事だな」と思えるかどうか。
 自分が、考えの違う相手に対してそういう関係性をつくろうとしていけば、学校のなかにもだんだんそういう関係性が広がっていきます。反対に、校長がバサッと切ったりダメ出しをしたりしていたら、学校のなかがそういう雰囲気になっていく。

▽学校のなかのリスペクト


 学校のなかで相互にリスペクトする関係性があるかどうかも、学校によって違いますよね。校長先生がえらすぎてものが言えない学校もあるかも。
住田 「言えない」なんて、「聴く」以前の話。話しやすい雰囲気をまずはつくらないと。
 よく「どうしてこんなになるまで放っていたの」という学校の事件が報道されるでしょう。たとえばいじめアンケートで子どもが被害を訴えていたのに学校がスルーしたとか。
住田 ありますね。
 こういう学校は、何か問題が起きたときに責め立てられていたんだと思う。それなら「やっぱり黙っていよう」となってしまうのは当然です。そして明るみに出て世間を揺るがす大問題に。
住田 自分のクラスで何か起きたときに周りから「力がないからだ」と言われるのが嫌だから、言わない/言えないとなってしまう。だから、お互いに気にかけたり、ケアを大切にする関係性をつくっていくことが必要ですよね。
 あと、私は「教員」じゃなくて「教職員」と必ず言ったり書いたりするようにしています。学校には、教員だけでなく、事務職員、養護教諭、用務員等の専門スタッフなどさまざまな職の人がいて、みんなで学校をつくっているんだから。これを「教員」と言ってしまうと、教師以外の人たちに「自分には関係がないのね」と思わせてしまう。
 教員免許のあるなしで壁をつくっちゃっていますよね。私が校長になって一番最初にしたのは、事務職員に「あなたはリソースマネージャーとして学校経営の中心にいる人ですよ」と価値づけることでした。
住田 私も職員会議やワークショップに事務職員にも参加してもらうようにしました。
 給食調理員やスクールサポートスタッフも含め、たくさんの目で子どもたちを見ることが大切なんです。ゴミの捨て方や休み時間の様子など、教員だけでは見えない子どもたちの様子についていろんな人がいろんな情報を持ち寄って、パズルが組み合わさってよい方向が見つかったりするんです。
住田 授業研究も、教職員全員で参加するようにしましょう。いろんな目で子どもたちを見ている人が参加することで、よりよい研究になっていきますよ。
「教員じゃないと授業はわからない」と言う人もいるけど、まったく違う視点から子どもたちの様子を見てもらえば、教員が思いつかない視点から気づきを言ってもらえることもあるんです。授業者ではなく子どもに注目する。これはぜひやったほうがいい。
 事務職員に、どんどん授業を観に行ってと言っていました。子どもたちとももっと仲よくなってほしい。
 私が最後に勤めた学校では、教室に入れない子が、いつもは保健室に行くけど、保健室が混んでいたら事務室に行って、事務職員の作業を手伝いながら話を聴いてもらったりしていました。
 子どもが、学校のなかでどこに行っても誰もが受け入れてくれるような学校になっていかないといけないし、そのためにも免許のありなしではなくみんなでかかわることが必要です。
住田 そういう壁を学校のなかでつくらないことだよね。それこそがまさにリスペクトです。自分以外のすべての人をリスペクトすること。
「あの人は違う職だ」「なんであの人がここにいるんですか」と言っていると、学校の中が壁だらけになって、みんなますます苦しくなってしまう。
 情報から疎外されていると「自分はリスペクトされていないんだな」とまざまざとわかります。そして「自分は聞いていない」という怒りにつながる。
 その意味では、「この人たちだけ知っている」という壁もなくしたほうがいい。校長室の扉を閉めて管理職層がひそひそ話をしていると、みんな気になって安心して仕事ができません。
住田 扉を開いてオープンにしないとね。みんなで共有していくことが、チームで対応していくということです。

▽管理職は一人で学校を変えることはできない


 でもそれができていない学校が多いですよね。
住田 管理職と教職員との間に壁がある。
 その壁は自分たちでつくっています。
住田 壁をつくったほうが楽なこともあるんだよね。自分の立場がはっきりして、壁に守られている気がして。オープンにすると、いろんな人に見られて、何かを言われるというのが嫌なんでしょう。
 でも、校長が一人で何かをしようとしても、教職員は「校長が勝手に始めている」と思いますよ。自分事にならなくて、問題が起きたら「じゃあ、校長先生お願いします。私たちは知りませんから」って。
 当事者じゃなくなっちゃう。
住田 それが一番弱いんだよね。校長一人が正解を持っている時代じゃないんだから、みんなで考えてみんなで答えを出していきましょうというスタンスを、まず校長が示すことがすごく大事です。

▽保護者へのリスペクト


住田 保護者対応で苦しんでいる学校もありますが、これも同じように話を聴くことです。聴き切ることができるかどうか。
 でも、学校は自分が説明をしたがります。相手の話を聴くよりも、「学校としてはこうしました」と。それを言われると保護者は当然怒ります。
 教頭時代にも、怒り爆発の保護者が来校したことがありますが、時間はかかるけど最後には学校の応援団になってくれました。やっぱりそれは、話を聴いたからです。話を聴いて、それに反論するんじゃなくて、私たちのゴールは子どもが幸せな学校生活を送れるようにすることですよね、一緒ですよねと伝える。対立するんじゃなくて、一緒に力を合わせてがんばりましょうと言っていました。時間はかかるけど、喧嘩別れになったことはありません。
住田 早く事を収めたいと思うから、説明しようとする。でも相手は「説得しようとしている」と受けとめてしまう。そして「学校は全然話を聴いてくれない」と。
 保護者からの不満でよく聞くのが、その「学校は話を聞いてくれない」ってフレーズですよね。学校にしてみたら、「1時間半も話し合いの場を持ったのに」と思うかもしれないけど、それは学校から保護者への共感の度合いが足りないんだと思う。「お母さん、心配ですよね」「困っていますよね」という言葉を学校が言えているか。
住田 いくら時間をかけても最終的に学校が守りに入っていると思われると、結局「聞いてもらっていない」となってしまう。
 子どもたちがよく使う「論破」、勝ち負けみたいになっているから。
住田 さっきの管理職と教職員の話と同じだけど、ここにも壁をつくって自分たちを守ろうとする姿勢がある。でも、壁をつくればつくるほど、相手はより攻撃をしてくるんです。
 よく、謝って自分の非を認めてはいけないという話を聞くけど、私はこういうとき学校は謝っていいと言うんです。心配をかけたことに対して謝るんですよ。共感の姿勢を示すんです。
住田 大切ですよね。相手が何に対して怒っているのか、今、どういう状況なのかをふまえて謝るところは謝る。これは一番最初にやることです。

▽子どもへのリスペクトがあるか


 学校はエラいわけでもなんでもないのに、「自分は子どもに対してすごい権力を持っている」と無自覚に思ってしまっている教員がいないでしょうか。まずこの自覚を持たないといけないと、先生方には言っていました。
住田 子どもたちに対しても、これまでの話と同じで、子どもの声に耳を傾けること、子どもの話をきちんと聴くこと、これに尽きます。
 忙しいからと、子どもが話しかけているのについ後回しにしたりする場面を見ますが、子どもも大人も相談に来たときは100%そちらを優先するという姿勢がすごく大切です。
 職員室で子どもの悪口を言う学校がすごく嫌なんです。できないことばかりをあげつらったり。保護者についても、「提出物が出てこない」とか。上から目線で「子どもなんだから」「親なんだから」ちゃんとやれという。
 でも、できない人もいるんですよ。がんばれない家庭もある。こういう視点を持っていないといけない。
住田 自分目線になりがちだけど、相手目線で考えることですよね。「やらない」相手の問題ではなく、「そうさせている」自分の問題だととらえたら、そういうことは言えないはずです。
 子どもや保護者の悪口を言う職員室は、どんどん悪循環に入ります。人の悪口を言うと、全部人のせいにするようになる。それだと自分も成長しないし、自分をリスペクトできていないということになります。
 もし、自校でこういう話が聞こえてきたら、どうするか。黙って聞いているのか。席をはずすのか。違う話にもっていくのか。校長先生がいなくて教頭先生が聞いていたとしたら、どうするか。これはかなり大きな問題です。
 「あの子はあれができない」という話になったときに、「でもあの子はこういういいところもあるよ」と言えるかどうか。誰だってできることもできないこともあるんだから、ネガティブなままで話を終わらせないことです。
住田 「ダメの言い合い」になったりね。「うちのクラスの子はもっとダメです」なんて言い出すと、どんどんネガティブになっていく。ネガティブなものは伝染力が高いから、学校全体に蔓延する。
 そもそも私も長いこと教員をしてきて、中学生のころは困った子でも立派な大人になっている人がいくらでもいるのを見てきました。これはすべての先生が同じような経験があるでしょう。でも、それなのに、目の前の子どもに対しては「これをしないと将来困るよ」と言っている。
住田 それは、その先生が困ってるんですよ。よく校長先生の研修で、「あなたが小学生のころの担任の先生が『あなたが校長になった』と聞いたらどう思うと思いますか?」と聞きます。そうすると、「あいつが校長なんて!」「そもそも教員になるなんて考えられない」という声があがります。そういうことですよね。
その人の将来や可能性なんて、どうなるかわかりっこありません。子どもたちのことを決めつけて、「これはダメ」とか「これができないと、とんでもないことになる」なんてことは、ありません。先生が自身をふり返ればわかることですよ。
 むしろ、今の子どもたちはけっこうがんばっているということがわかるかもしれない。そこにリスペクトが生まれます。
 子どもは化けるじゃないですか。学校という枠組みのなかではうまくいかなかったけど、別の場ではうまくいくなんてことはいくらでもある。学校の文脈だけで語るのはやめたほうがいいです。
住田 だから教職員に何ができるのかというと、何かを教えてやらせるということばかりではなくて、いろいろなきっかけを与えて、取り組めるような環境を整えていくことくらいでしょう。
 よけいなことを言わなくても、子どもはいいきっかけと環境さえあれば、何かに引っかかって「おもしろいからやってみよう」と考えます。

▽行政も現場へのリスペクトを

 教員のなり手がいないと言われますが、昔は教員をしながら自分の学びや研究に夢中で取り組んでいる人がたくさんいました。でも今はそんなことをする余裕はありません。
 私は、子どもの前にいる大人には、学ぶことが好きという人が絶対必要だと思うんです。でもそういう大人が教師になれないという状況を、やっぱり変えていかないと。
住田 本当に。真っ先にやらないといけない。
 だからこれまでの施策をシビアに検証する必要があると思うんです。そしていい影響を及ぼしていなかったものはやめる。
住田 公立以外にいろんな学びの場が模索されているなか、公立の教員は、自分たちの学校でどうするかをみんなで考えるしかありません。
 そしてそのためには、行政には学校の応援団になってもらわないと。「あれができていない」と指摘するだけじゃなく、「予算はつけるからやりたいことをやってください」とか、「失敗しても大丈夫」と言ってほしい。つまり、学校をリスペクトしてほしいんです。
 そうそう。でも、自治体によっては、市内の学校すべてが一斉にこれをしないといけないと横並びを重視していたり。やらない学校には指導したり。でも、自校の実態に合っていないものであれば、それをやめないと、余白は生まれないんですよ。
住田 不思議だよね。子どもに対しては「多様性が大事」「人と違うことが大事」と言っているのに、やろうとしていることは一斉画一、みんな一緒。
 それぞれの子どもに個性があるように、学校にも個性があるんです。市内の学校がみんな同じことをしないといけなくて、そのために校長先生がいる、ということじゃないですよね。学校には個性があるんだから、この学校だからこそできることを大事にすることこそが、校長先生の仕事です。
 その学校に合わないことをし続けていると、みんな苦しくなるに決まっているんだから。
 校長先生のなかには、体面を守ろうとする人もいるけど、こんなにも学校に来られていない子どもがいて、希望にあふれて教師になった若い人が心を病んでという学校の現状を見たときに、校長はどこを向かないといけないか、ですよ。やっぱりまずは子どもの権利を守ることですよ。
住田 これが大前提だよね。そして子どもをリスペクトする学校、子どもをリスペクトする授業や行事をどうしていけばよいかを、みんなで考える学校文化をつくっていく。
 よけいなことはどんどん切っていって、最も優先すべき「子どもをリスペクトするための学校づくり」をみんなで話し合う時間をまずは確保しましょう。
 校内研修でもこのことについて話し合う時間を一番最初に持ってきてほしい。「自校の子どもたちをどう育てたいか」をみんなで考える。シンプルな話です。
 上から降りてきたものじゃなくて、自校ならではの学びをどうするかを考える方が、みんな元気になるし、燃えますよ。その成果は子どもたちの姿ですぐにわかるから、こんなにやりがいのあることはないですよ。
住田 全国の学校で、4月のはじめの職員会議を一度やめて、みんなでこのことについて話し合いましょう。新任の先生や異動してきた先生も、こういう場があれば安心して働くことができます。
 こういう話し合いは、若かろうがベテランだろうが、知識のあるなしも関係なく話せますからね。誰かの正解を当てるということではなく、それぞれの思いを語ればいいんです。
住田 学校にかかわるすべての人が集まることが大事ですね。準備もいらないんですよ。みんなの頭の中にあるものを出すだけだから。20分だけでも。
 そこで管理職が「そうは言っても」という言葉を言わないこと。
住田 そう。管理職もフラットにその場に入ることですね。そして最後に「では校長先生から」というのもやらない。
 最後に校長先生が「みんなでやっていこう!」と応援するのならいいんだけどね。ブレーキはやめてもらいたい。
住田 私も校長時代に「最後に校長先生、何かありますか」と聞かれたら「ありません」と答えるようにしていました。それは、すでにフラットではないですからね。その代わり、途中で言いたいことがあったら手をあげて言ってましたけどね。
 こうやって1年のスタートが始まると、ポジティブな気分になれますね。
 新しく来た人にとっても、校長が頂点にいて物も言えないという学校よりも、みんなでフラットに話し合っている楽しい雰囲気の学校のほうが、絶対に働きやすい。
住田 校長先生が「リスペクトされよう」と思うんじゃなくて、「リスペクトする」人になることです。自分はできないことが多いけど、みんなの方がすごいと常に思うこと。
 フラットという意味は、自分以外のすべての人をリスペクトするという姿勢です。校長先生がそうしていれば、おのずと信頼されます。みんなが周りに集まっていきます。そうやって自然に信頼関係が生まれることが大事なんです。
 反対に、「校長だからこれを言っておかないと」「校長としてこれをやらねば」と思っていると、いざというときに「なんで俺の言うことを聞かないんだ!」という姿勢になってしまう。それでは信頼されません。
 今日は楽しかったです。
 こちらこそ!


※本対談は月刊『教職研修』2024年4月号の「特集1 信頼される学校へ」の関連企画です。ぜひ併せてご覧(ご購入)ください。



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