恋愛対象のはなし

「恋愛対象」について。セクシャリティ、とも混ぜられそうなおはなし。詳しくはないからどう違ってどう同じなのかってのはわからないけど。


私は、女性も男性も好きだ。バイセクシャルっていう名前がつくらしい。正直呼び方なんてどうでも良くて、会話の時に楽だから使うだけ。「彼女も彼氏もいたことありますよ、なんなら現在進行形で2人ともいますよ」なんていう話をすると大体の人に、バイなんだねとかなんとか言われる。

恋愛対象なんて、趣味みたいなものじゃないのかなぁって思う。パン派かご飯派か、とかドラクエ派かファイナルファンタジー派か、とかそういうのと同じで(厳密にはここまで2極化できるわけではないが)好きな人が違うだけ。自分の性別によって好きな人の性別が限られるのって不思議な話だよなぁってしみじみ思う。中国人だから中華が好きなわけでも、韓国人だからキムチが好きなわけでも、日本人だから味噌汁が好きなわけじゃないのに、どうして生まれもった何かで嗜好が狭められているんだろう。

本能が云々って話なのかな。「子孫を残さなきゃ」っていう動物としての問題?人間が本能に抗ってる事なんかいくらでもあるじゃないか。ダイエットをする女性たちは食欲という原始的な欲求、本能に従ってないといえる。食欲がない人もいるし、ありすぎる人もいる。本能なんてそんな簡単に覆るものじゃん?それに、個性を許すためにニンゲンはたくさん存在してるんだから、別にいいじゃない。子供を産みたい人が産めばいいし、産みたくない人が産まなくていいように。同性で子供ができたら素敵だなとは思うから、それは科学技術に奮闘してほしいところよね。

少し話が逸れてしまった。何はともあれ、誰がどんな人を好きになったっていいよね、というお話。趣味と違うのは相手も人間だっていうことなのかもしれない。よく言われるけど「同性愛者のことは理解できるけど自分が好かれる側になったら話が違う」という言葉。そりゃそうよね、という感想。でもそれならちゃんとお断りすればいいだけの話で、異性間でやってるじゃないそういうこと。それと何が違うのかな、って。「好みじゃありません」それだけの話だよ。性犯罪が増えるかも、みたいな話も同性愛関連で聞くけどそれで増えるとしたらそれは、もともとあったものが明るみに出るだけの話。

別にさ、許されたいわけじゃないのに。趣味を許されるのは逆に居心地悪いし。何も特別なことなんてない、当たり前のもので、景色の1つで。そうやって生きていたいだけなのに、なかなかに難儀だなぁ。


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