対話 6


曖昧なものが、苦手だ。大嫌いよりは好きだけど、好きというにはあまりにも違和感がある。

曖昧なもの。
1人でいる時間。1ヶ月後の予定。いつか、の約束。そして、感情。


「じゃあまた」と別れ際に言わなくなった。「また」が、怖いのだ。無責任なように感じられて、どうしてもうまく口から言葉になってくれない。また会いたいけど、嘘はつきたくないから、嘘になって欲しくないから。精一杯の「ありがとう」で見送ることにしている。幼い頃は、次の日に両親に会えなかったらどうしようという不安からなのか「おやすみなさい。また明日ね」というのを必ず言っていた。不安症は昔から。

「さよならだけが本当でしょう?」

なんてことを謳っていた、かつての恋人を思い出す。全くその通りだな、と思いたくなくて。だけど、頷かざるを得ない、そんな言葉で。曖昧な約束は、どこに行ってしまうんだろう。「いつか」も「今度」も、どうやら私のそばからはいなくなってしまったらしい。

「その曖昧さを本物にするの、苦手だっけ?むしろ得意じゃなかった?」

叶えられなかった約束、怖いからねぇ。いつまでもお腹の底の方にぐるぐるとしていて、なかなか消えてくれない。「いつか」を信じてた過去の自分自身ごと持っていかれそうになる。全部、仕方がないことなのに。だから出来るだけ、発生した曖昧さを解消する努力はすることにしている。

でもね、気づいたんだよ。曖昧さへの距離感が人によって違うことに。何の気なしに曖昧な言葉を使う人がたくさんいることにも。だから、気にしないフリが、できるようになった。自分から曖昧のタネを蒔くことさえも、今では厭わない。それはきっと愚かな変化で、だけど身につけた技で。こうして曖昧なことに言及できているうちは大丈夫かなって、自分を甘やかすの。

「ひとは、かわっていくから。変わらないでいようと思うことはできても、実際に不変で居られるはずがない」


ははは。ありがとう。気休めだとしても、事実だとしても、どっちでもいいや。昨日の気持ちと今日の気持ちと明日の気持ち、どれが本当なんだろうね。愛してると囁いた夜の終わりには、愛していたに変わっている。そんな感情の、何処を信じたらいいんだろう。自分の感情さえうまく信じられないのに、他人なんて。


「信じられないことだけ、信じてたらいいよ」



そうだね。
でも、たまにつらくなる。
信じられない自分も、他人のことも。
まだまだ、青い。


#エッセイ #対話



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