恋を自覚したはなし。
「愛は育てるもので恋は落ちるものだよ」
よくある陳腐な台詞。分からんでもないな、と思うし、確かに愛には時間がかかるが恋はうっかりハマってしまう、みたいな意味ではそうだなぁと思っていた。そう、思っていた。今迄は。
何度かの恋愛をして、恋とか愛とか齧ってみたなぁと傲慢にも考えていた私は槇原敬之の有名な歌のタイトルみたいなことを思っていた。恋に落ちるなんて今更出来るわけないし、そんなうっかり発生するわけないじゃない、足元は確認しながら歩くから落ちないもん、と。実際問題恋は大変に精神効率が良くない。実益もあんまりないし。めんどくさいしかったるいのだ。盲目になれるほどそんなに理性が脆弱なわけでもなし。
そんなわたしだからこそ、恋に落ちなかった。落ちたことに気付けなかった。穴の中にいるのに地面を歩いているつもりでいた。愚かだなぁと思うけれど、仕方のないこと。未練はあるかもしれないけどこれは恋ではない、だって別に付き合いたいとかじゃないし?…と、自分に言い聞かせ続けてきたし実際そうだと思っていた。それなのに、なのに。
会いたいと言えないとき。
LINEの既読と未読を気にするとき。
会えると思ったのに会えなかったとき。
電話に出られなかったとき。
そして、いつも一緒に行っているご飯屋さんにあの人がいないとき。
さみしくて、くるしくなる。
もう言い訳できないな、と思った。思い知らされてしまった。数日前にあの人から放たれた「わたしに好きになって欲しくないでしょ?」の問いにうまく答えられなかった自分の事を殺したくなる。少し考えたところで「きっと嬉しいと思う」みたいなふわっとした答えしかできないんだろうけど。
あの人がわたしのことを好きだろうが好きじゃなかろうが嫌いだろうがわたしが好きなことは変わらない。
だけど、もし返ってきたならそれは幸福のひとつだろうな。享受するのは、こわいね。
この恋は何時まで、色をもってしまう?賞味期限が見えない。おもいでになってしまう時のことを考えて、今日も雨です。
おしまい。