思い出のはなし
思い出、言い換えれば記憶は、きっと喉のあたりに存在しているんじゃないかと思う。それは息をしていて、平素は別にそこにあるだけなのに膨らむと喉につっかえてくる。呼吸する思い出。
ふと思い返した時にしんどくなるやつと、ちょっとだけ愉快な気持ちになるのが、ある。どっちにしろ思い出は綺麗になってしまうからにこにこしながら見つめてしまうのだけれど。前者も後者もずっと同じ形をしていることってあんまりなくて、同じ形に保とうとしても現在の自分によって容易く姿を変えていく。我儘だなぁと、思う。
青春の思い出。
恋愛の思い出。
ぜーんぶ、過去の自分との思い出の山積にすぎない。
記憶を掘り起こす作業はあまり苦にはならないのだけど、忘れるのが怖いので逐一文字に起こしたり、録音したり、いろんな方法で記憶を記録として残している。だけどどうしてもその時の色鮮やかな感情だけは残しておけないから、ギラついたモノクロームに落とし込む。思い出すことすら忘れてしまうのが、本当の忘却であることに気づいたのは、いつだっけか。
「人はねぇ、2回死ぬと思うんだよ。身体と、存在。心電図のグラフが真っ直ぐになって、瞳孔反射がなくなって、前者が消える。後者は他人の記憶の中。だから思ったより人間は長く生きていけてしまうし、それは希望であり絶望だな、と思う」
中学生くらいの、小さな私が吐いた言葉。かわいいねぇ、と頭を撫でながら褒めてあげる。そんなこと気付かなかったらよかったのにね、という内心は無視をして。少し前まで人とたくさん会おうとしていた時代があった。死ぬのが怖かったからだね、と今だからわかるし、当時もおそらく自覚していた。他人に多く関わることで、他人の中から自分が消えることを防ぎたかっただけなんだろうなぁって。傲慢で自分勝手なおはなし。
人の思い出に干渉することなんてできないのにね。何を残して何を残さないかって、きっと私の射程からは外れてるところ。だから最近はもうやめちゃった。人は忘れる生き物で、私も人を無意識に殺していくことに迎合した。だってそっちの方が楽なんだもの。
忘れたくないことだけ、覚えてたらいいよ。
荷物にしたいものだけ、背負って生きてゆく。
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