諦念と執着のはなし。
あー、年取ったなぁ。
なんてことを思うことがよくある。それは例えばやりきれない事への割り切りだったり、辛い時の開き直りだったりするんだけど。あ、あと恋愛の仕方、とか。諦めることが上手になって固執することが下手になっていく。その事象を年をとった、という風に考えている。落ち着いたな、みたいな。
「何かを求めないことと何も求めてない事、っていうのは明確に違う」
好きな本のフレーズ。本当の文章は確か「理解しあえる可能性を諦めることと理解者の存在を望まないことは同じじゃないから」だったかしら。本当にそうねぇ、と思う。そこに続く「無理やり同じだと思い込んだとしても何かの弾みでばらけた時は辛い」まで含めて。
何かを求めないことは長期的に見ればとても楽だな、と思う。
でも、何かを求めたい気持ちに蓋をし続けられるのか、という問題はある。
楽に甘んじたい気持ちも甘んじた方がいい事もとても理解したうえで、じゃあどうしたらいいのだろう。
楽ってなんなんだろう。
世間的な幸せ?マジョリティの生き方?一般的に正しいと言われること?
どこまでいったって、他人は他人なのに。
楽になりたい自分を自分が肯定出来るかしか、そこにはないじゃない。自分のしたいこともよく分からないのに、他人のことなんて…ねぇ。
諦念と執着。諦念に執着してるだけの話なのかもしれないし、執着に諦念してるのかもしれない。でもひとつ言えるのは、このはなしを残そうと思う私はもしかしたらまだまだ青いんだろうな、という事実。
おしまい。