2023深大寺恋物語賞 応募作品
2023年の深大寺恋物語賞に落選した作品ですが、せっかくなのでここに掲載させていただきます。
タイトルは「bitter young」です。
太陽の熱を受けたコンクリートの感触が、ランニングシューズのソールから一定のペースで下半身に響く。九月に入ってもまだ暑さは変わらなくて、二十分ほど軽く流して走っただけなのにもうあごの先から汗が滴っている。
四時をまわったばかりの調布駅周辺は、サラリーマンの帰宅ラッシュの時間よりは少し早く、パルコやテナントビルが並ぶ北口のロータリーには制服を着た学生と主婦が歩いているばかりだった。
スターバックスのテラス席に座る学生を横目に、僕と雄太は三鷹方面に走っていく。シューズがコンクリートと擦れるザクザクという音が、疾走感を与えて心地よかった。
「今日は組手の練習だから、抜けてきてホント正解」
同じペースで横を走っていた雄太が息継ぎの合間にそう言った。
「先輩と組手とかしんどいからマジ無理」僕も笑って答える。
今頃体育館の一階にある武道場は、部員の叫び声で満ちているはずだ。高校の空手部の練習は、型稽古をする日と組手という試合形式の練習をする日に分かれている。今日は組手の練習の日だ。安全面にうるさい顧問が練習に参加しない今日は、特に激しく練習しているにちがいなかった。 僕も雄太もそれが嫌で、ランニングするといって全体練習を抜けてきた。
「ここまで来たら、学校の連中もいないし走らなくても大丈夫じゃない?」
雄太が走るのをやめて歩き始めたのを見て、僕も歩き始める。
風を感じなくなったとたんに、全身からぷつぷつと汗の玉が吹き出してくる。
「一時間くらいゆっくりして、そのあと走って帰るとすると、どのへんでサボる?」
「学校から離れてるけど、人目につくと良くないからなあ」
そう言って僕は学校のマークが入った体操服の胸元をつまみ上げて雄太に見せた。たしかに、と雄太もうなずく。袖だけ緑色のラインが入った白いシャツに、袖と同じ色に染められた緑一色の短パン。学校制定の体操服は絶妙にダサい。でも、 校則では校外を走るときには体操服じゃないといけないことになっている。
「マジでダサいんだよなあ、この体操服。校章入ってるからなんかあるとすぐ通報されるし。これでバレないとこあんのかな」
「深大寺どうよ。歩いて二十分くらいだし、売店あるからなんか買って日陰で休もうぜ」
僕の提案に、アリだなと雄太も乗り気になった。
「せっかくだし、ミキちゃんとの今後も神様にお祈りしとこうかなあ」
雄太が笑ってそう言った瞬間、ドクリと心臓が高鳴るのを感じた。
「いいじゃん、せっかくだしお願いしとけよ」僕は精一杯笑顔を作ってそういった。
なおも語りかけてくる雄太の声を聞きながら、僕はぼんやりと夏合宿のことを思い出していた。
僕らの通っている高校は男子校で、少し離れた町に同じ系列の共学の高校がある。年二回、春と夏に行う空手部の合宿は、両校合同で行われていた。
七月の終わりに行われた今年の夏合宿には、合わせて五十人が参加した。四泊五日で行う夏合宿は練習の合間に花火や海水浴があって、毎年一組はカップルが誕生することで有名だった。もちろん、こっちの高校の男子とあっちの女子のカップルだ。九十九里浜に行きたいという部員の意見が採用されて、今年の合宿は千葉の上総一ノ宮駅近くの宿舎を貸し切って行った。
僕は四泊五日の合宿が憂鬱で仕方なかった。練習がしんどいのはいつものことだから別に関係ない。合宿の間中、女子といるのが耐えられなかった。正確に言うと、女子とイケてる連中だけが仲良くしているその輪から外されているのに耐えられなかった。
別に意図的にハブられているわけじゃない。でも、どうしても輪の中に入る勇気が出ない。一軍の連中の中に自分が入ってもし場の空気を壊したら、お前も来るのかよという視線
をもし誰かから受けたらと考えると、どうしてもその中に入ることができなかった。そして、
自分はあまりそういうことに興味がないというフリをしてしまうのだ。
今年の合宿は最終日までついにカップルは誕生せずに過ぎていった。誰もいないのかよ、とがっかりした顔で言っている同期に、まあそんな年もあるっしょ、と笑いながら答えていた。内心では、何とかこのまま平穏に終わってほしいと心の底から思っていた。
でも、今年もカップルが一組誕生してしまった。それは雄太だった。
最終日の晩はサイゼリアの一角を貸し切っての打ち上げだった。その中で雄太はむこうの女子に公開告白をした。五十人の視線を受けた中、雄太はミキちゃんと呼ばれるその女の子が座っているテーブルまで行くと、照れながら告白し、その場でイエスの返事をもらった。歓声と黄色い悲鳴に包まれたファミレスで、先輩や同期に囲まれる雄太を、僕は遠目に見ているだけだった。皆テーブルを立って雄太のもとに走って行く。テーブルに残ったのはイケてない部員だけだった。残った組の中にはそもそもそういう恋愛ごとに興味のないヤツもいたけど、そんなのは少数派で、本当は中に加わりたいのにそうできないヤツが大半だった。大盛り上がりしている雄太の周りとは対照的に、ただカチャカチャと食器の触れあう音だけが鳴っているテーブルはあまりにもみじめだった。
席を立って、輪の中に加わろうと何回思ったかわからない。でも、ぼくにはできなかった。靴底が地面に張り付いたように動けなかった。平然とした表情をつくりながら、内心でうらやましがっている僕はあまりにも情けなかった。何も気にせずに自由でいられて、しかもそれが周りから受け入れられる雄太が心の底から羨ましかった。
平日の夕方とあって、境内には外国人観光客がわずかにいるばかりだった。
僕らの高校よりもよほど大きな深大寺の境内には、金木犀やムクロジなんかの植物が生い茂っている。そんな豊かな緑の中に石畳の道が敷かれ、脇の水路からは水が流れる涼しげな音が響いていた。軒を連ねている茶屋や土産物屋の前には、狸の置物や灯篭が置かれていて、そういった一つ一つのものが先ほどまで走っていた街中とは別の世界に来たことを感じさせた。
僕らは売店の一つでサイダーを買い、本堂に向かって歩きながら飲んだ。
「俺、人生で初めての彼女なんだけどさ、イマイチどうしたら良いのかわかんないんだよね。どうしたらお互いに相手のことよく理解できんのかな」
「いいじゃん、何も考えずに押し倒しちゃえよ」
「バカいうな、俺はミキちゃんのこと本当に愛してるの」
雄太は無邪気に彼女との話を聞かせてくる。当然僕に彼女なんかいたことはないわけで、そんなことは気にせずに話してくるその純粋さがうっとおしかった。
十段ほどの石段を上って茅葺きの山門をくぐると、それまで茂っていた木々がなくなり、急に視界が開けた。砂利が敷き詰められた広場の奥に本堂がたたずんでいた。
「でかいなあ、やっぱ」雄太が本堂を見上げながら言った。
銅板葺の屋根は、太陽の光などものともせずに鈍く黒光りしている。本堂は一抱えほどもある木の梁や柱が組み合わさってできており、細部には獅子や鳳凰の彫り物がされていた。左右にたっぷりと幅を取りながら賽銭箱の上にかかる向拝だけが手前に伸びているその様子は、羽を広げた怪物が頭をこちらに向けているような威圧感を与えた。
「あ、やべ。財布持ってきてないから、お賽銭入れられないわ」賽銭箱の前まで来て、雄太が慌てたように言った。
「次回来た時で許してくれるよ」
僕がそう言うと、たしかにと笑って雄太は二礼二拍手一礼の動作で本堂に手を合わせ始めた。
寺は神社とちがって、柏手なんかせずにただ手を合わせるだけなのになと思う。ただ、雄太がそうすると不思議とそれが正しいやり方である気がして、僕も同じようにした。
本堂の周りには僕と雄太しかいなかった。遮るものなく西日が照らす中で、二人だけが並んで手を合わせていた。
日差しの名残りが焼き付いた真っ赤なまぶたの裏で、僕は考えていた。
全部僕が悪いに決まっていた。雄太のことを羨ましいと思ったり、うっとおしいと思ったりするのは、全部僕のせいだ。僕が小さいことにばかり気をとられて、その原因を雄太にあるように自分自身に思い込ませていただけだ。
自分の本心のままに行動して、それがみんなに受け入れらえる。そんな雄太のことを心の底からうらやましく思っていただけだ。情けないな、俺。
鼻の奥がジクジクと熱を持ってくる感じがした。
いつかもっと大人になって、今の自分のことを笑って雄太に話せるときが来ますように。
しばらくして目を開けると、雄太が笑いながらこちらを見ていた。
「ずいぶん真剣な顔してたけど何をお願いしたのさ」
「空手強くなれますようにって」僕は笑って答えた。
「ウソつけよ、そんなの願うやつは練習サボんないだろ。本当のこと教えろよ」雄太が肩をこづいてくる。
「本当だよ」もう一度笑ってそう言うと、僕は山門に向かって駆け出した。