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友人が壊れた話

 人にはそれぞれ周波数がある。
 それはたとえ家族でも完全に合うことはないが、逆に他人でよく重なる者もいる。
 波長が合うというのはまさしくそういうことで、私にとって圭太はそんな友人の一人だった。
 彼とは高校一年生の時に出会ってから、もう15年近い付き合いになる。
 私が入部した合気道部に圭太は1ヶ月遅れで入ってきた。
 体育館の2階、バスケやバレーの観覧席の横にある空きスペースが練習場所だった。幼児用のゴムマットを敷いただけの粗末な場所だったが、サンドバッグやミットなど一通りの用具は揃っていた。
 今思えばなぜ合気道の練習場にサンドバッグがあるのか疑問だが、サンボや極真空手の練習をする部員もいたので、もはや何でもアリだった。
 先輩に半ばだまされて入部した私は、格闘技など全く好きではなかった。
 組手の練習を無理やりさせられ、ヘッドギア越しに顔が痺れるほどの打撃を受けることにうんざりしていた私は、ランニングに行くと言って練習を抜け出すことが多かった。
 同じような考えを持った者は他にもいて、数人でよく練習を飛び出していたが、圭太もその1人だった。
 真面目にランニングをしようという者は1人もいなかった。裏山の神社で夕陽が沈むまで喋ったり、近くの古本屋で漫画を立ち読みしたり、街中を散歩したりして時間をつぶした。練習場に戻る前には、ウォータークーラーの水を頭から被って汗をかいているフリをした。
 当時は一刻も早く退部したいとしか思わなかったが、今思えば皆でたわいもない話をしていたあの時間は悪くなかった気がする。
 練習を抜け出すメンバーの中でも、圭太は異質だった。
 彼は当時からボクシングを習っており、真面目に練習している部員と同程度には強かったし、誰とでも分け隔てなく接することができた。
 誰とも壁を作らず、自分のやりたいことをやってそれが周りから許容される彼の生き方は、高校生活で絶えず閉塞感を感じていた私からはとても羨ましく思えた。
 そして、なぜかそんな彼と私は特に波長が合った。
 大学進学を機に2人で上京しようという話になり、彼は無事東京の大学に行くことになったが、私は受験に失敗して地元の私大に進むことになった。
 結果として一人で東京に行くことになった彼は大いに文句を言っていたが、その後も交友関係は続き、社会人になった今も頻繁に連絡をとっている。
 
 社会人3年目の時、スマホを開くと、圭太からメッセージが入っていた。 
 「俺、壊れてしもてん」という短い文章を見た時、私はついに来たかと思った。
 彼は大学卒業後、鋼材の専門商社に勤務していた。
 入社から3年経ち、最も激務と言われる部署に配属されてから、残業時間は毎月80時間を超えているようだった。
 もうダメかもしれんという彼の話を電話で聞くたびに心配していたが、ついに彼の心は壊れた。
 トイレの個室で突然涙が溢れたり、会社に入ると頭痛がするようになり、最後には会社の建物に入れなくなったということだった。
 何も考えずに少し休むようメッセージで伝え、後日会う約束を取り付けた。
 その日、私は会社でパソコンの画面に向かったが、少しも仕事に身が入らなかった。  

 それから間もなくして彼は休職し、関西の実家に戻ってきた。私と彼はまた頻繁に会うようになった。
 休職後初めて喫茶店で会う時は、彼がどんな精神状態で来るかわからなかったので少し不安だったが、実際に会ってみると、別段これまでと変わらぬ様子で安心した。会社に向かわなければ特に何の支障もないということだった。
 それ以降、私鉄の高架下にある喫茶店で毎週のように会った。たわいもない話をした後、ぶらぶら散歩して別れるということがしばらく続いた。
 数ヶ月経った時、彼から「今日は真面目な話がある」と言われた。転職を決意したというものだった。
 私は彼の話を聞くふりをしながら、その実、喫茶店の椅子にもたれて、コーヒーの表面に反射する電灯の形をぼんやり目でなぞっていた。
 彼は転職した後の展望を私に聞かせてきたが、あまりにも地に足がついていないように感じた。
 やりたいことを見つけたと早口で捲し立てる彼の様子は、今の会社から逃げたいだけという自分の本心に、無理やり気づかないようにしているだけに見えた。
「キョウ以外の友達にも話したんやけど、今の会社なんてとっとと辞めろ、やりたいことをやった方が良いって皆言うねん」
 私の芳しくないリアクションを敏感に感じ取って、彼は念押しのように言ってきた。
 一通り話を聞き終わっても、私は頑として彼の転職に賛成しなかった。
 社会の厳しさと彼自身の見通しの甘さについて、私が感じていることをそのまま述べた。
「キョウは俺が壊れてもええんか?」
 彼は少し苦しそうな顔をして私に問いかけた。
 決してそんなことはないと前置きし、可能な限り休職すれば良いと伝えた上で、私は自分自身の意見を訥々と話した。
 高校時代から彼を見ていると、極端に打たれ弱いと感じることがときどきあった。それは女性にフラれた時や、大学院の研究が思うように進まない時であったが、彼の良いところはそういった逆境にあって心が折れかけても、再び勢いを取り戻して乗り越えていくところにあった。
 そして、事実彼は困難な経験を乗り越えるごとに男としての魅力を上げていくように見えた。
 今回の件は間違いなく過去一番彼を追い詰める出来事だったが、しかるべき休息をとれば、それを乗り越えるだろうという自信が私にはあった。
 そして、私が彼の転職に反対したのには、もう一つ大きな理由があった。
 それは、今逃げ出せば、彼がそんな自分を許さない性格の持ち主であることを知っていたからである。
 一度逃げれば、その経験を引きずったまま自暴自棄になるであろうことはよくわかっていた。そんな状態で未来を切り拓くことなどできはしない。
「今まで自信を持っている時は何をやる時でも事後報告で来たのに、こうやって俺に相談して、顔色うかがってること自体、今圭太が迷っている証拠だよ」
 私がそう言うと、彼は椅子にもたれたまま、しばらく押し黙っていた。
 その日、それから何を話したかもうあまり覚えていない。ただ数日経って、「もうしばらく休んだら会社に戻る」と彼から連絡があった。

 彼が半年の休職を経て出社する日、私は朝から気が気ではなかった。
 悶々としながら会社でパソコンに向かっていると、スマホにメッセージが入った。
「今会社の門くぐったわ。知り合いに会う時めっちゃきまずい笑」
 そのメッセージを見た時、私は彼が復活したことを確信した。
 その後、彼は復職し、同じ会社で順調にキャリアを築いている。
 一度休職すると出世に響くかもと危ぶんでいたが、もともと破天荒な社員が多い専門商社の中で、生真面目な彼の性格は高く評価されているようだった。
 先日、同期の中で数人しか選ばれない研修留学の機会をもらって数ヶ月アメリカに行っていた。
 現地のアダルトショップの画像を送ってきて、アメリカ人のブツは想像よりデカそうだ、などとメッセージを送ってくることには辟易したが、彼の復活を私は心から喜んでいる。

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