夏越しの祓
京都では、梅雨の合間に夏日が挟まり、じめじめとした湿気を帯びてくると、とりあえず水無月でも食べて、怖ろしい夏の暑さに覚悟を決めるのだ。
この季節になると、神社で過ごしたある1日を思い出す。
春祭りの忙しい日々から、いつのまにか、参道に茅の輪が現れているころ、〝茅がや調整〟という日があった。毎年6月30日の夏越しの神事の直前に、茅の輪をくぐった参拝者の方々へ配る、茅がやのお守りを手作業で一日かけて完成させる。
その日は、一番目上の人から巫女まで、職員全員で一緒に作業を行う。境内を流れる一ノ井川の一角に、社務所から続く廊下の橋が架かっていて、その橋の上に座って、1日がかりで作業する。長年、足袋に踏み磨かれた橋は、すべすべの木肌でひんやりとしていて、隙間から川面の涼しい風を感じた。主に分担作業で、神主はじめ男性たちが、剪定バサミを使って一束ずつに切り揃え、巫女はじめ女性たちが短冊を結ぶ。短冊には、「夏越しの祓する人は千歳の命のぶというなり」と書かれている。茅の輪をくぐる時に呟く言葉で、昔からのおまじないでもある。
最初は黙々と作業がはじまるが、次第に会話が弾んでいく。このときのたわいのない会話がとても楽しかった。梅雨の真っ只中に、その日はいつも不思議と雨の記憶がない。
私が奉仕した神社では、この日以外にも、昔からの伝統で、上から下までの職員が総出で一緒に作業する日があり、その一体感たるや、まるで大きな家族みたいな微笑ましさがあった。
夏祭りの提灯を(確か数千灯あったと思う)、毎日交代で、数週間かけて部屋一杯になるまで作り続けたり、そこで職員同士で交わされる会話や、厳しい上下関係のことなど、この時に自然と学んだことも多かった。普段から、祭典や祈祷などを滞りなく執り納めるにあたって、一体感を味わう事が大切だったように思う。
私自身、巫女として奉職した初日に得たときの感動が、神社で奉仕するということを実感させてくれた。
それは、初めて目の前でご祈祷を見学したときのことだった。
神主さんが静かな廊下を進みだすと同時に、太鼓が打ち鳴らされ、祝詞が上がる。やがて、巫女が鈴を手に舞いはじめるー。3人によって執り行われたご祈祷は、終始控えめな所作に一点の淀みなく、一本の張り詰めた糸を辿るように進んでいった。
その後も、日々の奉仕の中で、作法、所作の大切さは、その美しさに体現されていると実感するに至った。
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