まつうらすみれ
顔彩による作品制作 #天女 #迦陵頻伽 #人魚 #女神像 #女神
イラストレーターのお仕事のきろく。顔彩を使ったイラストレーション。新聞連載をはじめ、日本酒ラベル、奉納画など。
京都と滋賀の二拠点から、酒蔵のある風景を旅して呑んで。四季折々に好きなものを愛で、酔いしれる暮らし。毎日新聞に連載していた「すみれのほろ酔い歳時記」の続編。
つれづれなるまま、京のあれこれを書き記す。生まれ住んだ京の景色。ちょっと離れて眺める横顔もまた良し。 私の原点、静かなお社での日々。巫女として奉仕していたあの頃なども、ときどき。
前回の「秋日、湖国の酒旅。―1.青に浮かぶ町― 」より、ずいぶんと時間が経ってしまいました。 続編を綴る――。 さて、旅の続きは道中の車窓より。 高島のマキノを後にして、近江今津の「西友」さんで鰻ランチなどを楽しみ、近所の「琵琶の長寿」醸造元・池本酒造さんへ立ち寄ったのだった。先の車窓に写る、おもちゃの酒レプリカは、そのお蔵さんで購入したもの。店頭では、親切な女将さんが試飲を進めてくださり、ついつい時間の許す限りと…… せわしない滞在に関わらず、寄り道は楽し。 気づけ
晴れやかな秋晴れの日、湖国を北から南へぐるりと半周する酒旅へと出かけた。 この日、京都の日本酒バーの女将さんにお誘い頂き、2軒の酒蔵を訪ねることに。 まずは、滋賀県高島市にある吉田酒造さんを訪ねた。 私が滋賀の拠点として住んでいる木之本からは、JR琵琶湖線に乗り、湖北のてっぺんにある駅「近江塩津」で湖西線に乗り換えて「マキノ駅」まで。乗り換えの接続さえうまくいけば、電車で約20分少しの距離だ。 ちょうど近江塩津を折り返すと、車窓から湖北の穏やかな情景が切り取られる。
2016年よりご縁を賜り、毎年献画させていただいています。 春らんまん ー春の人ー ー春雷をよぶー (顔彩,和紙) 描いた作品はハート形のうちわに調整され、5月19日うちわまき に奉納されます。(下,写真は2018年うちわまき にて。) これまで法要での体験は忘れがたく、 僧侶の心地よい読経が響き、雅楽の調べに舞い踊る姿を前に、おおらかな大陸の風が吹いていました。 今年も、お空の上に居る大切な人たちを想いながら、アトリエから見える春の山々を眺め
早くも、桜吹雪に包まれた京都を離れ、JR琵琶湖線で湖北へと向かう。車窓の景色は湖北にだんだんと近づくにつれ、まるで季節が逆戻りしていくよう。京都に比べて、湖北はおよそ1週間程桜の開花が遅いとのこと。 季節を行ったり来たりする生活も、桜を2倍楽しめると思うと、悪くないものです。 伊吹山の山頂付近には、今朝もうっすらと雪。 近所の日吉神社の桜も満開を迎えていた。 ふと思い立って、隣町へ“観音の里”として有名な高月町まで自転車を走らせた。 途中、桜狩(サクラハント)を楽しみなが
今年も、祇園でのライブペイントや仕事など、嬉しくも慌ただしい節分を迎え、合間の休日はゆっくりと京都で過ごしていた。 by 酔胡楽 https://twitter.com/kyoto_suikoraku/ 数日前に買った暦の本のページをめくっていると、二十四節気、七十二候の立春の候が目に止まった。今、季節はちょうど、黄鶯睍睆“うぐいすなく”頃であった。 少し寒さも和らいだ一日、哲学の道を散歩しながら、ふと大豊神社へお参りに向かった。 なだらかな石畳みの階段を上がっていくと
イラストレーターとして駆け出しの頃、アルバイトをいくつか掛け持ちしていた。 私の人生の中心にある「絵を描く」関連の縛りを抜きにして、興味のある仕事を思いつくままやってみたかった。 主に経験したのは、神社の事務、観光広告業、ライター業、憧れのイラストレーターさんのアシスタントなど。他にもそれほど多くはないが、結局は、全てが今の仕事に結びついている。 中でも、最初にやってみたいと思って始めたアルバイトは、喫茶店のウェイトレスだった。 まず河原町や大阪など、名の知れたコーヒーショ
京都では、正月も過ぎてしばらくすると、十日戎の賑わいが、何処にいても伝わってくる。えべっさんの福々しい姿のお菓子やお守りが目に浮かぶ。なにより昔から、私はえびす顔の人が好きだ。 あるとき、福の神のお顔を描いていると、とても心地良い気持ちに満たされた。筆を走らせながら、自分の顔もほころんでいたに違いない。なおいっそうのこと、えびす顔の人との出会いを楽しみに思うようになった。 これまで出会った中でも印象深かった方に、能面を打つお師匠さんがおられた。 その方の能面と対峙したとき
秋色から冬色に変わるとき。日々、季節の色を確かめるように、仕事場の窓からじっくりと山々を眺めています。ひんやり、しぐれと共に色を深めていく―。 夏越しの祓から、早いもので年の瀬を迎えます。 春には京都に新たな拠点を持ち、滋賀と京都、大阪を往復する日が続いて、せわしないようで、でもしっかり休むときは休んで、湖北の静かな生活にも、ずいぶん癒されました。 気が付けば、“ルポ&イラストレーター”の仕事を始めて10年が経ちました。 きっかけは、巫女を辞めてすぐ、雑誌の編集者であ
京都では、梅雨の合間に夏日が挟まり、じめじめとした湿気を帯びてくると、とりあえず水無月でも食べて、怖ろしい夏の暑さに覚悟を決めるのだ。 この季節になると、神社で過ごしたある1日を思い出す。 春祭りの忙しい日々から、いつのまにか、参道に茅の輪が現れているころ、〝茅がや調整〟という日があった。毎年6月30日の夏越しの神事の直前に、茅の輪をくぐった参拝者の方々へ配る、茅がやのお守りを手作業で一日かけて完成させる。 その日は、一番目上の人から巫女まで、職員全員で一緒に作業を行う。
梅雨入り。 気まぐれの晴れ間に、シーツを洗って、気持ちよく庭に干す。 昼下がり、どんよりと曇が重たくなってくる。 2階の仕事部屋にいると、窓から冷たい風が吹いてきた。 あわてて庭へ下り、慌ただしくシーツを取り入れる。 このところ、庭を賑わすのは、どくだみの花。 その名とは裏腹に、可憐な花。 輝くような白さに、はっと目を奪われる。 しばし雨音に包まれる。 こぼれるように蕾をほどき始めた紫陽花たち。 生活の合間に、庭に降り、小さな喜びを見つける。 日々の愛しいものたちを、
あの白銀の景色から、季節は巡って、窓から、溢れんばかりの眩しい緑が迫っている。 日々、刻々と移り変わる季節の色を、この山の装いに眺めている。 中でも愛する山色は、桜の咲くころ。 もくもくと湧き立つような山の色を、脳裏に焼き付けようと必死。 自然の織りなす色々を、絵の具にのせていくことが何よりの喜びです。 今年も描いた、唐招提寺のうちわまきへの奉納画二対も、 萌えいづる春の色。 神々の宿る〝山笑う〟様を描きとめたくて。 〈春雷〉 〈山笑う〉 そして、4月、5月は例によ
ほぅ――と、言葉を無くして、今朝も、我が家の窓から雪景色を見つめていました。 木之本は、今が一番美しい季節かもしれない。 この街のどこにいても、清廉な白のベールをまとった山並みが見える。 新年早々から、京都や神戸へ、仕事で泊りがけで往復する日々が続いていた。せわしない出張から帰る度に、白銀の山々に迎えられ、心が静かに震えた。 雪がすべてを覆い隠した街道の景色は、歴史の武将たちが眺めていたものと、さほど変わっていないかもしれない。 時に、しんしんと降りやまぬ雪。その美しさ
今年の紅葉シーズンの到来は早いらしいけれど、湖北の紅葉はそれよりももっと早いようで。 街道から眺める山並みも、すっかり秋の装い。 夕刻、秋色をまとう、木之本のお地蔵さま。 我が家の玄関先に迷い込んでいた銀杏の葉は、どうやら近所の神社からやってきたみたい。 お参りがてら行ってみると、眩しい程の黄色が、秋空に映えていました。 ちょうど、秋の連休中には、木之本の街道まつりが催されていたので、お昼どき、屋台を目当てに向かいました。 木之本地蔵院から屋台が続き、入り口には宿場町ら