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春のうた

今年も、祇園でのライブペイントや仕事など、嬉しくも慌ただしい節分を迎え、合間の休日はゆっくりと京都で過ごしていた。

by 酔胡楽 https://twitter.com/kyoto_suikoraku/

数日前に買った暦の本のページをめくっていると、二十四節気、七十二候の立春の候が目に止まった。今、季節はちょうど、黄鶯睍睆“うぐいすなく”頃であった。

少し寒さも和らいだ一日、哲学の道を散歩しながら、ふと大豊神社へお参りに向かった。
なだらかな石畳みの階段を上がっていくと、明るく開けた場所に、山を背負った本殿が現れる。鳥居横で、愛嬌のある表情をした狛犬が迎えてくれた。傾いた西陽を受けて、一層、気持ち良さそうに見える。右手の狛犬は、横に大きく開いた口から、カッカッカと笑い声がしそうな程だ。鎮守の杜に、鶯の音はまだ聴こえぬものの、すっかり春が芽吹いていた。

蠟梅を見つけるのは花が先か、その香りが先か。
境内には、人の背丈の倍ほどもある蠟梅の老木があり、空へ伸び伸びと枝を広げて、今が盛りと、黄金色の花を沢山つけていた。
他にも、咲きこぼれたばかりの珍しい山野草や、散り椿。まんさくの花も、ここで初めて見た。
名も知らず通り過ぎてしまうような草木たち。その一本一本に、愛おしむように名札が掛けられ、季節を彩りながら、訪れる人たちを癒している。

命がたぎる。燃える。萌え出ずる。
人は春を表現するために、花を摘み生け、色を重ねたり、糸を染めたり、あるいは歌をよんで、唄い舞いながら、その喜びを全身に纏わずにはいられない。
自身の中から湧き出るような衝動に、じっとしては居られない。
古い古典に描かれた女神や、源氏物語に描かれた春を愛しむ人々。相変わらず、春のような人への憧れ。
私自身は、親から、春の逞しい雑草の名をつけてもらった。
名に宿る、春の暖かな鼓動に励まされ、いつだって、生まれ変われることを知る。

2019.2.13

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