夜会のウェイトレス
イラストレーターとして駆け出しの頃、アルバイトをいくつか掛け持ちしていた。
私の人生の中心にある「絵を描く」関連の縛りを抜きにして、興味のある仕事を思いつくままやってみたかった。
主に経験したのは、神社の事務、観光広告業、ライター業、憧れのイラストレーターさんのアシスタントなど。他にもそれほど多くはないが、結局は、全てが今の仕事に結びついている。
中でも、最初にやってみたいと思って始めたアルバイトは、喫茶店のウェイトレスだった。
まず河原町や大阪など、名の知れたコーヒーショップやカフェを巡って、いくつか面接も受けた。条件が合わず、面接結果もふるわず、なかなか決まらなかった。そして、いわゆる“カフェ”というより、“喫茶店”に憧れていることに気づく。
そんな時、京都で運命的なお店に出会った。
繁華街にある創業60年を越える喫茶店。文人画家たちが集っていたという、古き良きサロンの趣を残す店内には、著名な方の直筆のデッサンや油絵が、壁に何枚も飾られていた。白髪のオーナーは、京都弁まじりに標準語のイントネーションを意識したようにいつも整然と話され、凛とした佇まいをされていた。面接を受けた日も、まるで世間話を交わすように穏やかな雰囲気のまま、すんなり働くことが決まった。そして翌日から、働き始めることとなった。
お店の営業は昼の12時から始まり、休憩を挟んで、夜遅くは終電頃まで。早番、遅番とシフト交代制で、曜日ごとに分かれて、総勢10名以上のウェイトレスが勤めていた。そのほとんどがフリーターや文系芸術系の女子大生で、好きな音楽やアートなど、互いの趣味も良く合った。主に京都で繰り広げられている最新のアートやアングラな情報もここで聞けたし、恋の話も尽きなかった。
何より、念願のウェイトレスのしごとは、とてもシンプルだった。
お客さんから注文を受けると、温められた瑠璃色のコーヒーカップをお客さんのテーブルへとセットする。銀色のコーヒーポットを片手に、無心でコーヒーをカップに注いでいく。
BGMの無い店内には、静かな時間こそ多かったように思えるが、観光シーズンの最盛期には行列も出来ていた。そんな時のウェイトレスたちは、可笑しくなるほどにてんてこ舞いだった。くるくる舞うように一階二階を行ったり来たり。ときには狭いキッチンに入り、右往左往しながら、サンドイッチやスイーツの注文を手伝うこともあった。
そんな合間に食べた賄いは、至福の時間。私のお気に入りはバタートーストと、ラムを少したらしたカフェオレ。まだ開店前、二階窓際の真ん中を特等席として、窓から見える西洋風建築のてっぺんを誇らしく眺めながら、パリっ子気分でトーストを頬張るのが好きだった。
ある日の営業時間、入り口の自動扉がサッと開いて、異国の美しいご婦人がひとり、入って来た。エキゾチックな雰囲気を纏い、煙草を燻らしながら、まっすぐ奥の席へ。その一瞬捉えた魅力的な容姿は、実はすでに記憶にあるものだったと、この後気づくこととなる。
ご婦人は、席に座るやいなや、なぜか驚きの表情をされている。その様子が気になりつつ、注文を取りに行くと、目の前の壁に掛けられた一枚の絵をまじまじと眺められていた。
額縁の中に居る、フラメンコの青いドレスを纏った女性の姿。
すると、その絵を指差し、ぽつりと言った。この絵に描かれた踊り子は、私だとー。
数十年前、この絵の作者S先生がスペインに滞在の折、彼女がモデルとなって描いてもらったという。
彼女はまさに、絵から抜け出して来たかのようだった。時を経ても変わらない面影が、はっきりと今の容姿に見て取れた。
余りにロマンチックな出来事で、まるで映画のようだったと、その日はウェイトレスたちに語り尽くした。いやひょっとして、全ては、彼女の思いついた秀逸なシナリオだったのかもしれない。
けれど、この場所には、そんなエピソードも不思議に思わぬほど、いくつもの出会いと物語が紡がれているのだ。
今宵も、川のせせらぎに佇む喫茶室では、ウェイトレスの憂鬱が漂う。青白い照明に浮かんでは消え、幻想的な夜の帳がおりていくー。
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