ラッコの話②【スマスイの思い出】23年と97日生きたラッコ、明日花
「ラッコにまつわるあれこれを掘り下げてみよう」の、第2回です。第1回では、寒い地域に暮らすラッコの秘密を、神戸市立須磨海浜水族園(以下スマスイ)の飼育員・村本ももよさんにお伺いしてきました。第1回はこちらからどうぞ。
第2回は、スマスイで暮らしていたラッコたちの思い出を、引き続き村本さんにお話し頂きます。
〈以下、私と村本さんの会話形式でお送りします〉
村本さんがスマスイで担当されていたラッコたちのこと、教えてください。
「私は2010年からラッコの担当になりました。お世話したのはトコ、パール、明日花、クータン、ミィー、ラッキーの6頭です」
◆スマスイ最後のラッコ「明日花」
「スマスイに最後にいた明日花(♀)は、国内で最も長い飼育日数の記録を持っています。23年97日生きていたので、平均寿命が15~20年と言われる中でとても長寿なラッコでした。人間で言うとおばあちゃんくらいの年齢になるまでずっとお世話していたので、私自身も一番思い入れがあります」
お世話していた頃の思い出はありますか。
「明日花はいわゆる『びびり』の子、とっても恐がりでした。びびりだけど、いたずらっ子。お母さんのパールが大好きで、ずっとくっついていた姿が印象に残っています。驚くとすぐにパールの後ろに隠れていました。自分が食べているものがいらなくなるとすぐに捨てて、パールが食べているものをすぐにもらいに行っていました。パールも娘には甘いので、すぐにエサをあげていました」
「晩年はとっても頑固。食べないものは食べません、とエサの好みが一段と強いおばあちゃんでした。ただ、母親のパールと一緒にいた姿をずっと見ていたので、どんなに年をとっても「おばあちゃん」と言うより、パールの娘、という印象が強かったですね」
◆高齢ラッコと飼育員さん、エサの攻防再び
ラッコは年齢を重ねるとどんな変化がありますか。
「明日花に限らず、おじいちゃんおばあちゃんになるとみんな食の好みが激しくなりましたね。これは食べない、という意思がより強く、頑固になっていたような印象です」
「でも、こちらもエサを食べてもらわないわけにはいかないので、エサを細かく切ったり、スティック状にしてあげたりと工夫して与えました」
◆「ハズバンダリートレーニング」って?
スマスイのラッコは、芸を覚えてイルカやアシカのようにショーをする機会はありましたか。
「人に見せるためのパフォーマンスやその訓練は行っていませんでしたが、ハズバンダリートレーニング、という訓練をしていました」
ハズバンダリー・・・?聞き慣れない言葉です、詳しく教えてください。
「健康チェックに協力してもらえるように動きを覚えてもらうトレーニングのことです。具体的には、体重を量るために体重計の台の上に自ら乗ってもらったり、口の中が病気になっていないかの確認や歯磨きのために口をあけてもらったりします」
「昔は、ラッコの体重を量るために水槽の水を全部抜いてかごの中に入れ、それにふたをして体重計に乗せる、という作業が必要でした。飼育員にとって重労働、もちろんラッコ自身にとっても大きな負担になっていました。ラッコの方から体重計に乗ってくれるように、動きを覚えてもらうようになったんです」
ラッコにも歯磨きが必要なんですね。
「そうですね。野生個体であれば、固いものを食べたり貝類を歯でこじ開けたりと、普段の食事が歯磨きの代わりのような役割を果たしているのだと思います。ただ、野生でも口の中の病気が原因で死ぬことはあります」
「飼育個体は、野生と比べて柔らかいエサが多いので、子ども用の歯ブラシを使って歯磨きをしていました。歯に歯石がついていないか、奥歯がすり減ったり折れたりしていないかなどを確認できるよう、口を開けてもらうトレーニングも行っていました」
ラッコたちとのたくさんの思い出、お話ししてくださってありがとうございます。
「私が担当し始めた頃には、もうラッコたちはみんないい年で、高齢になった個体を看取ることが多くなっていました。本当は、スマスイで生まれるラッコの赤ちゃんを見たかったな、という気持ちもあります」
実は、村本さんがラッコを担当されはじめてから、スマスイで新たなラッコの赤ちゃんは生まれていません。
この取材を始めたきっかけは、日本の水族館でラッコが見られなくなる日が、近い将来に現実になるのでは・・・、という思いからでした。
日本のラッコブームから飼育数の減少、その背景にはどんなことがあったのか。引き続きお話をお伺いしていきます。
広瀬聡子