
「日本の長寿村・短命村」

単行本 – 1991/4/1 近藤 正二 (著), 萩原 弘道 (著)
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1,991年発行、かれこれ34年前の本です
これを手に取ったのは約30年前のこと
管理栄養士として「何をどう食べるか」が個人的テーマで、単に栄養だけを見つめるのではなく、食文化を探ってみることに興味がありました
この1冊が今でも深く刻まれています
▪️結論、要因は食生活
この著者、東北大学教授の近藤先生は、交通機関がない昭和10年ごろ
40年近くかけ全国を歩き回り、日本の長寿村短命村の食事を研究された方です
昭和初期、脳卒中で亡くなる日本人が多く、平均寿命は約50歳だった
その原因を探るためで、生活習慣を現地調査すると、食生活こそが大きな要因である、とされた
食材の輸入や流通も発達していない時代だったからこそ、この研究は日本の風土に根付いた食文化を背景に、意味深いものであると個人的に思えた
また、この露骨なタイトルに目を奪われたのも正直なところで
ストレートな文章表現から批判もあったのは確かなよう
▪️全国調査の結果
⚪︎短命村
・精製された白米
・魚の多食(大型魚の切り身)
・野菜不足
⚪︎長寿村
・雑穀(白米が食べられない環境)、緑黄色野菜、海藻類、大豆など
食物繊維を常に摂る
・小魚を頭から食べる
・重労働
海に囲まれた日本風土から、海藻を摂ることのメリット
農耕文化が根強く、雑穀や野菜、大豆の食物繊維を摂ることのメリット
などが裏付けされ今日に至っている
▪️長寿村から学ぶ
近藤先生の調査が端を発し、様々な研究者が長寿村を訪れ
その後の研究に活かされている
元職場の先輩が開催する研究会があり、日本一の長寿村 山梨県棡原村(ゆずりはらむら)がテーマで、それに感化されたことも大きかった
確か、こんな話を聞かせてもらった
棡原村が長寿村として注目された昭和時代があり、そこの住民は何を食べて高齢化に至っているか!
雑穀や野菜の食物繊維が常食だったこと
特にニンジンを盛んに栽培している地域であった
その栄養や効果について興味関心が高い
と、当時聞かされたような覚えがある
棡原村というところがどんなところだったか、調べてみた
千メートル近い山々が連なる都県境の笹尾根と 権現山に挟まれた深い溪谷にできた鶴川の河岸段丘の斜面に集落が点在する。住民の食生活は、第二次世界大戦後の一時期まで山間部の雑穀や菜食中心の自給的で、肉食は少なかった。これにより旧棡原村は、昭和時代には「長寿村」として知られ、往時には山村集落としてにぎわった。
※沿革 平成17年 上野原市棡原となる
水田が作れず、そばや麦、芋類が主食であった背景があり
山間部で傾斜であるため、重労働であったことなども要因と考えられる
やはり、ここでもこの言葉と重なる
身土不二
身土不二(しんどふじ)とは、人間の体と暮らす土地は一体で、切っても切れない関係にあるという考え方です。
【意味】
人間のよりどころとする身体とその人の生まれ育った土地・環境とは切っても切り離せない関係にある
その土地でとれたものを、その旬に食べる
自分の住んでいる土地の、季節のものを食べると身体にいい
【考え方】
人と土(環境)は一体で、人のいのちと健康は食べもので支えられ、食べものは土(環境)が育てている
その土地や季節に合った食べ物が身体に良い
【実践】
日本人に合った食事は、玄米・麦・そば、雑穀などの穀類や豆類を主食とし、季節の野菜、果実、海藻、小魚などを副食とする食事が理想的
棡原村の一例ですが
近藤先生の調査結果に相通じますし
身土不二の考え方そのものです
▪️おわりに
わたしが大事にしている「食べる」こと、は
これまで、どこか頭の隅っこにあったものを整理した内容となっています
こうでなくては!
と、いった堅苦しい考え方ではなく
参考にしていただき
これまでの食のあり方を振り返りつつ
今の食生活を見つめ直すだけでも
とてもいいと思います
できることを、できる時に、負担なく取り組める
これが毎日の食生活につながり
どこかでブレーキをかけ
どこかでアクセルをふみ
健康に過ごせればいいと考えます
この記事が、食生活の振り返りになれば幸いです
最後までお読みいただきありがとうございました