京都工芸研究会では,ベテランの会員さんに工芸の仕事や今までのあゆみについてじっくりとお話を伺う「ロング・インタビュー」を企画しました。その第一弾として,竹工芸の小川進(竿頭斎)さんをお招きして,竹工芸を志すきっかけや修業時代のエピソード,作り手に求められる資質について伺いました。
小川さんは高校卒業後に石田正一氏(竹美斎 特別会員)に師事し,竹工芸歴55年の大ベテラン。月に1回の「竹編組勉強会(現在はコロナ禍により休会中)」では若い作り手と交流して丁寧な手仕事の楽しさを伝えておられます。
記事は,インタビューを書き起こした原稿に,小川さんが後日あらためてお手紙でコメントくださったものを「後日談」として付記しました。文体に独特の魅力があるので,極力原文のままで掲載します。
道具と整理整頓への徹底的なこだわり
編:さっそくですが,研究会の中でも小川さんはお仕事の丁寧さで評判ですが,竹工芸のお仕事をされるうえで,心がけていることを教えてください。
小川:「あまり機械化の方向へ進まない。自分の手で仕上げる事を楽しむ。」という心でいますが,ほとんど趣味の範囲を出てないように思えて,毎日竹工芸に取り組んでいる人に対して申し訳ない気持ちがあります。
少し作家活動みたいな事をやりかけた事もありますが,どうも自分の目指す方向ではないと感じて,やめにしました。
お金を稼ぐという面では,大学進学を止めて竹工芸の道へ進む事を決めた時に「貧乏は覚悟の上です」と言って以来,どうもお金の計算はどこか間抜けな所があるようです。学校では算数も数学も得意だったんですが,どうなっているのでしょう……。
道具については,こだわらない作り手もいますが,やはり良い仕事をするには良い道具が必要だと思います。よく「工芸は技術だけで元手がかからないもの」と思われがちですが,目の肥えたお客さんほど「道具」を見ます。例えば,接着剤を大きな容器から直接使っている人もいますが,手間がかかっても私は少しずつ小瓶に移し替えてから使っています。そのほうが細かい仕事がしやすいし,接着剤も長持ちするのです。小さなことかもしれませんが,上等な道具を使いこなしているか,手入れや整理整頓が行き届いているか,良い仕事にはそれが大切なことだと思います。
子どもの頃から”工作好き”
編:小川さんは竹編組勉強会でも,作業だけでなく材料の下ごしらえや設計図に至るまでとても精密なのでいつも驚きます。元々手先が器用だったのでしょうか?
小川:飛びぬけて器用というわけではありませんでしたが,子供の頃から工作は好きでした。道具を買うお金が無かったので,鉛筆削り用の小刀を使って,よく紙工作をしていました。紙ヒコーキは山ほど作りましたね。ボール紙で四角い箱をたくさんこしらえて,西洋のお城のような建物も作りました。
竹工芸への入門
編:好きなことをお仕事にされたのですね。工芸には様々な分野がありますが,竹工芸の道を志そうと思ったのはなぜですか?
小川:高校の修学旅行で九州に行った時,鹿児島や別府で竹細工の籠などを見たのがきっかけです。籠やザルなど,ひとつの材料で作れる商品が多いことに魅力を感じました。受験勉強が嫌いだったというのもありますね(笑)。
編:てっきり京都の竹工芸がきっかけなのかと思っていました。京都に来る修学旅行生にも,小川さんが体験されたような出会いがあるといいですね。どのように弟子入りされたのでしょうか?
小川:昔の時代でしたので,電話帳から調べて,学校を通じて京都の工房5件ほどに直接問い合わせしました。
編:石田さんに弟子入りした決め手は何だったのでしょうか?
小川:お手紙の字がとても綺麗だったので,魅力的に思ったんです。弟子入りした後に,その手紙は奥様が書いたとわかったのですが(笑)。
住み込み修業時代
編:お弟子さんだった頃のお話を聞かせてください。
小川:住み込みで,1日13時間ほど働いて,休みは月に3日でしたが,とても大事にしていただきました。
編:高校を卒業したばかりですと,遊びたい盛りの年頃だったと思いますが,もっと休みがほしいとか,遊びに行きたいとは思いませんでしたか?
小川:修業中はお金もないし,時間があれば仕事をしていました。まず技術を身につけることが第一です。師匠からは褒められることはあまりなかったのですが,元来器用だったせいか,仕事はいろいろ任せていただきました。でも,勘に頼った仕事だと「なぜできたのか」がわからないので,次にやっても同じものができないこともありました。勘が良いのも考えものですね。失敗を繰り返した方が,良い物ができるのです。
編:センスだけだと身につかない,愚直な繰り返しが大切,というのは工芸全般に通じるかもしれませんね。小川さんがお仕事をするにあたって,他にも心がけていることがありましたら,お聞かせください。
小川:気合を入れ過ぎない,ということですね。以前,息抜きに川島織物で手織り体験に参加したことがあるんです。他にも参加者がいたのですが,みなさん気合を入れて糸を張りすぎたり,筬(おさ)を強く叩き過ぎたりして,出来た織物が縮んでしまったのです。私は教わったことを守ってマイペースでやったので上手くできました。気合いを入れ過ぎないほうが身につくこともあるのです。
交流で向上する技術
修業中の事ですが,まだ一人前はおろか半人前にもなってない頃の事です。京都竹工芸研究会(※3)は年に1度竹工展を開催していましたが,ものたりない思いの日展作家の田中篁斎さんや東竹園斎さんらが発起人になって,京都竹芸家クラブ(だったかな?)を立ち上げて,10数人の職人さんらが勉強会を始められた事があります。1年に1回だったか,展示即売会をしたり,集って話し合われたりとか,飲み会とか。何年間か続いてやめられましたが,忙しくなってやめられたのか,ヒマになってやめられたのか分かりませんが。
それから随分経ってですが,京都竹工芸研究会と京都金属工芸研究会(※4)が一緒になって「金竹衆(こんちくしゅう)」という勉強会のようなものを金工の小泉武寛さんが「やろう!」と呼びかけられました。私は,竹工研究会の方から誰も参加しなかったら体裁が悪いと思って参加することにしたのです。はじめ小泉さんが代表の衆長となり,その後何人か衆長を代えて随分長く続きました。勉強会として見学に行ったり,展示即売会を開催したり,色々な課題を決めて皆で取り組んだり。普段別々に仕事をするのがあたりまえなので,会って話したり,作品を見せ合って批評したり,仕事の話を聞いたり。「参加する度に有意義なことがいっぱい」という訳ではないですが,時々良いことを聞いた,良い物を見せてもらった。時々あれば充分なのです。
※3 竹工芸研究会:1959年12月に設立。
※4 金工芸研究会:1959年9月に設立。2015年3月に,竹工芸研究会と京都工芸研究会(1948年10月設立)とが統合し,現在の京都工芸研究会が設立された。
空回りせずに熱くなる性格
ついつい長い話をしてしまいましたが,そんな体裁の良い事ばかりではなく,知られてはならない黒歴史や(そんな言葉があるのかどうか)赤歴史もたくさんあります。
編:うまく作ろう,という気持ちが空回りしてしまうことはよく分かります。気合を入れ過ぎない,というのは簡単なようで難しいですよね。それもひとつのセンスかもしれませんね。
小川:でも一方で,熱くなりやすい性格なんですよ。「箱入り娘(※5)」という有名なパズルがありまして,本をちらっと見て,自分でこしらえて自分で解こうとしたのですが,なかなか解けない。躍起になって解いた後に答えを見たら,パズルの問題自体を間違えて作っていて,普通より難しいものになっていたんです(笑)。
編:それでも解けちゃったのですね!。「情熱を持ちつつ,気合を入れ過ぎない」ということが肝要なのだと思いますが,努力で身につけるのはなかなか難しいことですよね。私なんかはつい「血筋」だとか「生まれ持った性質だから」として諦めがちですが,小川さんのご家族も工芸に携わっておられたのですか?
小川:いえ,竹工芸の仕事に就いたのは私だけですが,私の叔父が満州から戻って家電製品の仕事をして,扇風機の設計図を作っていたそうです。残念ながら完成を待たずに亡くなってしまったのですが,私が六つ目編みの編組図面の本(※6)を著したときは「叔父さんの無念を晴らしたぞ」という感慨深い気持ちになりました。
これからの世代に伝えたいこと
編:最後に,これから竹工芸を志す若い世代に向けて一言お願いします。
小川:技術的な事なら,力になりますよ。でも,うーん……やめといたほうがいいよ(笑)
編:(笑)。
編集後記
小川さんはその訥々とした語り口のとおり,誠実なお人柄の方です。生真面目な中にも独特のお茶目な雰囲気があり,多弁な方ではありませんがその代わり筆まめで,竹編組勉強会では毎回直筆のお手紙を郵送でお送りいただくのですが,そのユーモアあふれる文章には事務局一同,毎回癒されています。今回もインタビューの後に追加のコメントを2回も直筆でいただきましたので「後日談」として挿入させていただきました。
竹編組勉強会では私も参加させていただいており,小川さんのご指導で砥いだ竹のペーパーナイフでお手紙の封を切ろうとしたところ,お送りいただいたお手紙の封筒がピッチリと一分の隙も無く糊付けされていたため、ナイフの刃先すら入らなかったことに,小川竿頭斎の仕事の徹底ぶりを垣間見ました。
取材日:2021.6.24(木)京都市産業技術研究所にて
※6 『竹編組模式図集・六つ目編』 発行:京都竹工芸研究会・京都精華大学美術学部(2000年3月)