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【京都検定学習帖】#22 公式テキスト 寺院(3)*


では、15時になりましたで昨日の解答をお伝えします。

テキスト・発展問題

1.(上品蓮台寺):延命地蔵尊、聖徳太子、十二坊
★仏師康尚の子で、平等院本尊の木造阿弥陀如来坐像の作者の墓があるがそれは誰か 【定朝】
★上記寺院が所蔵する、釈迦の前世における善行から現世で悟りを開くまでの伝記を説いた経典とは何か 【絵因果経】
2.(引接寺):閻魔王、小野篁、千本閻魔堂
★本尊の閻魔王の作者は 【定勢】
★5月1日~4日に行われる、比叡山の僧 定覚が布教のために始めたのが起こりとされる行事は 【ゑんま堂大念仏狂言】
★後小松天皇ゆかりの名木で、散るときは花冠ごと落ちる遅咲きの八重桜の名は 【普賢象桜】
☆現在の上記桜を寄進した人物は 【佐野藤右衛門】
3.(雨宝院):歓喜天、空海、染殿井
★上記寺院の通称は 【西陣聖天】
★本堂前にある御室桜と同種の八重桜の名は 【歓喜桜】
☆久邇宮朝彦親王が参詣の折、にわか雨をこの松の下でしのがれたと伝えられているが、この松は何と呼ばれているか 【時雨の松】
☆山門近くにある、珍しい薄緑色の花を咲かす八重桜の名は 【御衣黄桜】
4.(大報恩寺):義空、おかめ塚、大根焚き
★令和6年に国宝に指定された定慶作の仏像は 【六観音菩薩像】
★本尊釈迦如来像の作者と言われる快慶の弟子にあたる仏師は 【行快】
☆元は慶長10年(1605年)に豊臣秀頼が北野社(北野天満宮)に再建した寺院が規模縮小、移転を繰り返し現在の地に移築されたが、この建物の名は 【北野経王堂】
5.(神泉苑):禁苑、空海、御池通
★太古から存在した大池で、平安京遷都以後、歴代天皇が遊宴を行ったといわれる池の名は 【法成就池】
★貞観5年(863年)には疫病が大いに流行り、六柱の御霊を鎮めるため、朝廷により行われた祇園祭の発祥となる祭事の名は 【御霊会】
★毎年、方角を変えてその年の幸運の方角におられる歳徳神を礼拝する社の名は 【恵方社】
6.(誠心院):和泉式部、上東門院彰子、新京極通
7.(清閑寺):高倉天皇、小督局、紹継
★清水寺の音羽の滝から清閑寺に至る山路を指し、謡曲「融」や「田村」に登場する、上記寺院の山号にも使われている小径の名は 【歌中山】
☆幕末の勤皇僧である月照と西郷隆盛が密儀を交わした場所とは 【郭公亭】
8.(泉涌寺):東山、御寺、泉山七福神巡り
★御寺と呼ばれるきっかけとなった、没後、寺内に御陵が造営された天皇とは 【四条天皇】
★洛陽三十三所観音霊場第二十二番札所の本尊となっている仏像は 【楊貴妃観音】
☆上記仏像を請来した人物は 【湛海】
☆仏殿天井の「雲龍図」、本尊背後の「飛天図」、裏壁の「白衣観音図」の作者は 【狩野探幽】
☆鳴龍としても知られる舎利殿天井の「雲龍図」の作者は 【狩野山雪】
☆重要文化財『後陽成天皇像』の肖像画の作者は 【狩野孝信】
☆歴代天皇の御尊牌(お位牌)をお把りした場所 【霊明殿】
9.(今熊野観音寺):泉涌寺塔頭、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、お砂踏法要
10.(雲龍院):泉涌寺塔頭、別格本山、後光厳上皇
★文亀二年(1502)後土御門天皇の(御黒戸御殿)を後柏原天皇より下賜され、写経道場とした
★寺宝『後土御門天皇宸翰』の作者は 【土佐光信】
11.(即成院):泉涌寺塔頭、那須与一ゆかり
★上記寺院の開基とされる藤原頼道の子は 【橘俊綱】
12.(来迎院):泉涌寺塔頭、ゆな荒神、独鈷水
★大石内蔵助が討ち入りの密儀をしたと伝わる茶室は 【含翠軒】

豆知識

真言宗は平安時代末期に宗派の立て直しをはかった覚鑁によるものを新義真言宗と呼び、それ以前からのものを古義真言宗と呼んでいます。
<古義真言宗>
・高野山真言宗(総本山金剛峯寺)
・東寺真言宗(総本山東寺)
・真言宗善通寺派(総本山善通寺)
・醍醐派(総本山醍醐寺)
・御室派(総本山仁和寺)
・大覚寺派(大本山大覚寺)
・泉涌寺派(総本山泉涌寺)
・山階派(大本山勧修寺)
<新義真言宗>
・智山派(総本山智積院)
・豊山派(総本山長谷寺)

さいごに

明日は、醍醐寺で五大力尊仁王会が行われます。五大力尊仁王会は醍醐寺最大の年中行事で、見どころは何といっても「餅上げ力奉納」です。
その歴史は、醍醐天皇の時代、西暦907年まで遡ります。毎年、全国から十数万人の参拝客が訪れますので、早朝から夕方まで、人の列が途切れることがありません。
ご興味があれば、ぜひ、ご参拝ください。

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