【京都歳時記】八坂神社 疫神社祭
疫神社祭とは
八坂神社の境内摂社である疫神社は、疫病除けの神、蘇民将来を祀り、蘇民将来社ともいわれています。西楼門外にあり、近代に入り絵馬舎西に移り、1913年に現在地に移されました。
1月19日に斎行される疫神社祭は疫神社の祭礼です。早朝に竹の芯の茅の輪を鳥居に据え、粟餅をお供えします。その由来は、八坂神社の祭神・素戔嗚尊(牛頭天王)が南海を旅していた際に、巨旦将来に一晩泊めてもらえないかと頼みましたが断られ、弟の蘇民将来に迎えられ、粟餅でもてなされました。素戔嗚尊(牛頭天王)は蘇民に対してのお礼に、悪疫が流行しても茅の輪を腰に下げれば悪疫除けになると告げました。そのため、蘇民一家は無事であったという故事によるものです。
疫神社祭ではでは厄除けなどを祈願します。疫神社祭では心身の罪穢を祓う修祓・祭神に加護などを祈願する祝詞奏上・神前に玉串を捧げて拝礼する玉串奉奠などの神事を行い、神事終了後にはお神酒が振舞われます。
日時:1月19日
場所:疫神社(八坂神社境内)
住所:東山区祇園町北側625
アクセス:京都市営バス 祇園下車
疫神社 伝承
疫病除けの神であり、北海の国の牛頭天王には伝承があります。
牛頭天王の体は人間のようで、頭には牛のような角が生えていました。このため、后になる者はいませんでした。牛頭天王は、鳥のお告げにより、后を求めて南海へ旅に出、ある国で一夜の宿を求めました。
富豪の鬼の大王・巨旦将来は、立派な城門内に住んでいましたが、巨旦は残忍、吝嗇であり、牛頭天王を泊めることを拒み、牛頭天王に悪口をはき追い払いました。
牛頭天王は、貧しい村の女に泊めてくれるところがないかを尋ねたところ、女は、蘇民将来という篤実の老人の家を教えてくれました。貧しい暮らしの蘇民将来は、自分たちの食事を減らし、温かい汁、粗末なご飯を用意し、火も燃やして快くもてなしてくれました。
牛頭天王は、旅立つ時、蘇民将来に次のように言い残します。万が一、何か災いが起きれば、「蘇民将来之子孫也」と名乗ると、必ず災いから身を守ることができるだろうと伝え、茅の輪を与えました。
その後、牛頭天王は、竜宮で竜女と結ばれ、8人の王子が生まれます。10年後、牛頭天王は国に帰る旅の途上で、2人の将来のことを思い出します。巨旦将来は、牛頭天王の報復を恐れ、千人の僧に読経させ、城は幾重にも兵に守らせました。牛頭天王の軍勢は巨旦将来の城を攻めて滅ぼし、一族も撲滅します。巨旦将来の国は疫病の流行により全滅しました。
牛頭天王らが蘇民将来の家を訪れると、蘇民将来は再び歓迎しました。牛頭天王は、一家と子孫は、疫病の難から逃れるとし、終生の加護を約束しました。これが祇園祭の粽にある「蘇民将来之子孫也」の護符の由来とされています。
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