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3.fieldアイリッシュセッションの始まり Part3
現在、Irish PUB fieldが休業を余儀なくされている中で、1987年の”field”創業以来の、過去の様々な資料や記事に触れる機会がありました。そこで、過去にfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していたメールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を、このnoteにご紹介していきたいと思います。
noteから得られる皆様のサポート(投げ銭)は、field存続のために役立てたいと思っています。
前回のPart2では、アイリッシュセッションがスタート、それを聞きつけたミュージシャン達からギネスビールはないのか?と迫られる洲崎。簡単にはギネスが手に入らないことを知り一世一代の大決心をします──。(Irish PUB field 店長 佐藤)
↓前回、Part 2は、こちら↓
fieldどたばたセッションの現場から 3(2001年9月)
どうすれば生ギネスを自分の店で扱う事ができるのか?! 私が行き着いた答えはひとつしかなかった。「生ギネスを置くために、店をアイリッシュ・パブに変えるぞ!」 秋も深まった頃、私は突如宣言して、当店スタッフや常連のお客さん達を大いに慌てさせたのだった。
そして、思いつきから約3カ月後、2000年1月15日にIrish pub field がスタートする事になる。
これは悪夢のような3カ月だった。アイルランドにはもちろん、日本にあるアイリッシュ・パブにさえ一度も行ったことが無い私は、遅まきながら大阪のとあるアイリッシュ・パブに出かけて、そのまるで映画のセットのような空間にすっかり圧倒されて落ち込んでしまった。
アイルランド旅行経験のある人をつかまえては質問責めにし、パブの写真を見せてくれと懇願した。これからアイルランドへ旅行に行くという人には料理のレシピをお土産にねだった。
知れば知るほどアイリッシュ・パブというものは想像を超えた異空間に思えてくる。実行不可能に見える事柄が次々に山積みになる。
京都独特のうなぎの寝床と称されるこの極端に細長い店が果たしてアイリッシュ・パブになるのか? 焦燥感と重圧がピークに達した時、私は最後の砦に居直ることに決めた。
「生ギネスが飲めればそれで立派なアイリッシュ・パブじゃ!」
年末営業を暮れの28日で切り上げて、リニューアル・オープンまでが約2週間強。最小限の店内改装のほとんどを自分たちの大工仕事でまかなった。 外に出す看板も全部ペンキで描いた。セッションメンバーも仕事帰りに学校帰りに手伝いに来てくれた。みんな学園祭の準備ぐらいの気持で気軽に手伝っ てくれたのが何よりの励みだった。
開店3日前に私がインフルエンザにやられるというアクシデントを経て、予定していた準備作業の3割ぐらい積み残して遂に時間切れ。完全な見切り発車だったが、とにもかくにも、Irish pub field は動き出したのだった。
セッションは従来の月2回土曜日に加え、毎週火曜日も行う事となり、最 低でも月6 回、以前の3倍のペースで行われる事になった。しかし、同じ頃、皮肉にもセッションの核を成していた私達のバンドは様々な事情が重なってほぼ活動休止状戴に陥っていたのだった。
一方、突然「パブのおやじ」になってしまった私は、
「アイルランド音楽が好きなカフェのおやじ」という気楽なものでは無くなっていた。
「自らアイルランド音楽を演奏する、京都で初めてのアイリッシュ・パブのおやじ」 知らぬ間に、こういう風になっていたのだ。
こんなイメージが一人歩きする恐怖たるや
「みんな! 頼むからワシにアイルランドとアイルランド音楽の事を質問せんといてくれ!!」
祈るような日々だ。この京都のどこに今まで潜んでおったのか!と思うくらい、アイルランド愛好家のお客さん達が毎日やってきた。恐らく、あまりに無知の私は、彼らの多くを失望の淵に追い込んだ事だろう。
こんな空気が支配する店内で、楽器を持ってセッションの輪に入るのは決して気楽なものであるはずもない。
このように、私のアイルランド音楽環境は再び激変したのだ。そして考えあぐねた末、セッション常連のオピニオン・リーダーだった生島徹氏を部長 (現在は平仮名で「ぷちょー」と表記すると彼の事を指す)に立てて、セッションに集まる人達を中心に「field アイルランド音楽研究会」なるサークルをでっち上げた(秋の時点で立ち上げていた同名のホームページを流用して、そういうサークルが存在することを勝手に宣言しただけ)。
最初にセッションをしたちょうど1年後にあたる2000年5月の事だった。ここでは私はあくまでヒラ部員であって、セッションの時は店の思惑など忘れて遊ぷ、と割り切ることにしたのだ。
このようにしてIrish pub field のセッションは始まり、現在に至っている。参加者がたった2人だった夜、参加者の多すぎた夜、店内全部がダンス 会場と化してしまった夜、有名なミュージシャンが参加してくれた夜、悩みを抱えた奴を囲んだ夜、ワイ談に終始してしまった夜‥‥、1日として同じセッションはあり得ない。そして、現在もfieldセッションは発展途上だ。
人も変わる。状況も変わる。アイルランド音楽を楽しもうという、集まる人々の気持ちだけが変わらない。しかし、現実はいつもドタバタ。
そんな、セッションの現場から、アイルランド音楽初心者の私が感激したり、驚いたり、困ったりする日常の思いを、これから時々報告させていただこうと思っている。各方面の先生方のご意見、アドバイスが頂けたら、とい うのが最大の希望である。 (以下次号)
<洲崎一彦:京都のIrish PUB field のおやじ>
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