便利堂ものづくりインタビュー 第17回
第17回:ハリバンアワード クリスティン・ポッターさん
聞き手・社長室 前田
ハリバンアワード2023最優秀賞を受賞されたクリスティン・ポッターさんにコロタイプとの出会い、ものづくり体験などについてお話を伺ってきました。
―――ハリバンアワード2023の最優秀賞受賞、おめでとうございます!
本当に素晴らしい賞に選んでいただいてありがとう。私がこうして日本に来るのは2回目、25年ぶりということもあり、今回の滞在をものすごく楽しみにしていました。お招きいただきありがとうございます!
―――クリスティンさんはどうやってハリバンアワードをお知りになったのですか?
最初はたくさんいる写真家仲間から教えてもらったんです。ぜひ応募したい!と思ったものの、その年は締め切りに間に合いませんでした。次の年には必ず…と考えていたところ新型コロナウイルスが起こったんです。ハリバンアワードのもっとも素晴らしいところは便利堂に滞在して、職人のみなさんと一緒に作業ができること。せっかく受賞できたとしてもコロナ禍で旅行ができないとなれば京都滞在もかないません。それなら作品をコロナ終焉までに完成させて、それから応募しようと思いました。ようやく今回のタイミ
ングでそれが叶ったというわけです。
―――目論み通りですね(笑)。便利堂では「コロタイプ」技術を継承し、次世代につなぐ活動を続けています。このハリバンアワードもその一つで、約170年の歴史を持つこの古典印画技法と、現代写真のアート性をつなごうという取り組みです。最優秀賞を受賞した方には、便利堂にあるコロタイプ工房にお招きし、約2週間の滞在の中で、熟練の職人と一緒に、受賞作品のコロタイププリントを制作していただく「アーティスト・イン・レジデンス」を提供しています。
つくづくすごい賞品ですよね。応募する前から、もし受賞できたら、これは決して他では体験することができない特別な機会になるだろうと思っていました。私は写真家のキャリアの中で印画技術を学んできたので、暗室作業はもちろんデジタルプリントも好きですし、長い間、何人ものプロのプリンターたちと仕事をしてきました。だからこそ、便利堂へ滞在して、職人の方々とコロタイプのプロセスを学べるこの機会がどんなに貴重かよくわかりましたし、どうしても逃したくなかったんです。
―――実際、便利堂へ来られていかがでしたか?
一番最初は、工房に漂うインキの匂いが懐かしく、はっとさせられました。憧れの場所とはいえ一人旅だったこともあり、見ず知らずの土地ですからものすごく緊張していたのですが、皆さんにすごく温かく迎えていただいて、ふっと肩の力が抜けるのを感じました。そのおかげで、思いがけず最初からリラックスして過ごせたことがうれしかったですね。今ではまるで自宅にいるみたいに快適です。
―――それはよかったです。社内も見学していただきましたか?
すばらしかったですね。建物のなかに写真工房があることにもびっくりしましたが、製版や刷版もとても見ごたえがありました。すりガラスに職人さんが薬品をひき、乾かして露光したものが、次の日には印刷場で刷られている。その循環が一つの会社の中で行われていることに感動しました。ここで自分の作品をプリントしてもらえると思うとわくわくしましたね。どの職人さんもプロフェッショナルです。一人ひとりが自信に満ち溢れていて、いい仲間がいる仕事場からはこんな風にいいものが生まれるんだと思いました。
―――マイスターの山本とやりとりをしながら、受賞作のうち8イメージのコロタイププリントを制作しました。
ものすごくエキサイティングでした。最初は紙選びから始まりましたが、私が一番惹かれたのは、黄みがかったあたたかな色味の「鳥の子」です。作品は4点が風景、4点がポートレートでしたが、同じ黒でも何回刷り重ねた黒がいいのかなど、山本さんとは何度も話し合いました。
―――職人とのやり取りはいかがでしたか?
山本さんや助手の佐竹さんとのやりとりはつくづく豊かな経験でした。来る日も来る日も、山本さんは印刷場とレジデンスのベースである研究所を何度も往復しながら私の言葉に耳を傾けてくれました。私はコロタイプのプリンターとして長い経験に裏打ちされた山本さんの意見が聞きたかったので「作品をこんな風に見せたい」「肌のディティールを出したい」など、まずは自分の思いをはっきり伝えるようにしました。山本さんは山本さんで、私が伝えるイメージをできる限り再現すべく力を注いでくれました。できること、できないこと、お互い率直な意見交換ができたのは本当に幸せなことでしたね。
―――山本にとっても挑戦だったと聞いています。
山本さんは毎回、レジデンスの機会に作家の方々とこうしたやり取りを繰り返しされてきたんでしょうね。作家の思いはそれぞれ違いますから、そのつど丁寧なやり取りをして、相手の思いを汲み取り、それだけでなく、作家が満足するようにその場その場、アドリブで研究を重ねて来られたのではないでしょうか。お話しする中でそうした歴史を感じました。彼は何度となく、私のごくわずかな身振り手振りから、「ここをもっと明るくしたいんだな」「これは違うんだな」ってすぐに汲み取ってくれましたから。
―――今回のクリスティンさんの作品では濃い調子のプリントが印象に残りました。
そうですね、低いトーンの描写が多くて山本さんにはご苦労をおかけしました。私はデジタルカメラで撮影したのですが、それは暗い場所や風景を描写的に撮りたかったからです。そんな現代的なデジタル画像を、山本さんはコロタイプという歴史あるプリント技術と美しく交差させながら豊かに描写してくれました。彼の技術がディティールを引き出してくれてどんなに驚いたかしれません。写真の再現って本当に難しいものですが、コロタイプなら可能なんだと実感しました。
―――そういっていただけてうれしいです。クリスティンさんもご自身でコロタイププリントされたそうですね。
作品として販売するために8×10インチサイズの手刷りプリントに挑戦したのですが、大きなローラーだったこともあり、最初はコントロールが効かず難しかったですね。でもその苦労を上回る面白さがありました。ただ、自分の思ったようにはなかなか調子が出なくて…。頭にはちゃんとイメージがあったので、自分の手でそこに近づけるのが非常に難しかったです。
―――それは、より黒く…ということですか?
そうですね。より暗く、より黒く仕上げたいけれど、黒は重ねるとどうしてもつぶれてしまいます。そうした面で改めて職人のみなさんのすごさを思い知りましたね。エディションをそろえるのも難しくて何度もやり直したんですよ。急に気温が下がると版が乾いてしまうところにも苦労しました。実は私がコロタイプを知ったのは学生時代のことでしたが、今回自分で刷ってみて、たしかに聞いていた通りの大変な技術だと実感しました。
―――クリスティンさんがコロタイプを知ったのは大学の授業ですか?
そうですね、リチャード・ベンソン教授の授業でした。彼はオフセット印刷のパイオニアでしたが、彼の工房へ行ったとき、様々な古典技法のプリントがピンで留めてあったんです。それぞれについて紹介してもらったなかにコロタイプもありました。彼は「コロタイプはすごく繊細で美しいものができるけど、ものすごく難しい技法だ」と教えてくれました。実際やってみて、本当にその通りだと思いました。
―――長い時を経て、学生時代に教わった古典技法に出会うなんて、きっとご縁があったんでしょうね。
ほんとですね。私も大学でファインアートを教えているので、学生たちにコロタイプのことを伝えたいなと思うけれど、現代の印刷技術とコロタイプはあまりにも正反対の性質でしょう?今はボタン一つ押せばインクジェットでなんだってプリントされる時代ですからね。彼らにコロタイプのすばらしさを説明するとなると、もっとずっとベーシックなところから伝えないとなかなか難しいかもしれません。
―――それはコロタイプを次の世代に継承したいという私たちにとっても課題の一つです。さて、完成したクリスティンさんの作品展示は、4月に京都市内で展観を行います。
日本で私の作品を紹介していただけることに感激しています。今回の展示《ダーク・ウォーターズ》の大きなテーマは「女性に対する暴力」です。作品ではアメリカの特定の地域の女性に対する暴力を捉えていますが、この問題はアメリカに限ったことではありません。世界中で語られる物語にはしばしば「女性への虐待」が一見それとはわからないように描かれています。展覧会が、そのような物語が常に消費されている意味を考えるきっかけになれば…と思います。
―――難しいテーマですが、多くの方にご覧いただきたいですね。
アメリカのみならず、日本、ヨーロッパ、他の地域でも、この作品が何を意味するのか、みんなで共有できるきっかけになればうれしいです。それはきっと私たちをより健全な世界へ導いてくれるのではないか…。そんな風に思っています。
―――ところで、クリスティンさんはハリバンアワードの記念すべき10人目の受賞者です。
ふふふ、うれしいですね。ということはわたしの前に9人ものアーティストがいるということですよね?10人目として思うのは、ぜひ私の後に10人も20人も、もっともっと受賞者が続いてほしいということです。体験して改めて思いますが、ハリバンアワードのレジデンスは、コロタイプを学ぶためのこれ以上ない教育の場でした。こんな体験は世界中どこを探してもできません。しかも、これまで受賞者は世界中から訪れていると聞きました。それはつまり、このレジデンス自体が素晴らしい文化交流の場になっている…と思いませんか?
―――これまで、受賞者の方とのコミュニケーションからはいつも大きな刺激をいただいてきました。私たちがコロタイプを通して文化交流の場が作れているとしたら、そんなうれしいことはありません。
2週間、知らない土地に身を置いて制作に取り組めるのは贅沢な経験でした。山本さんとのやり取りはエキサイティングで、私の方こそ毎日ものすごく刺激を受けていました。コミュニケーションの結果、生まれたプリントは間違いなくこれまでで最も美しいものですが、それを人の手が生み出したことに感動しました。普段、私はいつも大学での仕事のことばかり考えているので、今回はそこから離れてどれだけリラックスできたかしれません。実は滞在中に担当している学生たちの成績をつけていたのですが、普段より採点が甘くなった気がするくらいです。
―――学生さんたちはラッキーでしたね。京都では観光もされましたか?
25年前、バックパックで京都をまわった時には大徳寺近くの宿に泊まり、自転車で三十三間堂へ行きました。それが懐かしくて、今回も同じルートへ出かけましたが楽しかったですね。清水寺の夜間拝観へも行きました。お寺から見た日の入りの美しさは忘れられません。
―――京都での時間を楽しんでいただけて何よりでした。
そうそう、研究所の壁にはこれまでのハリバンアワード受賞者のサインが書かれていますよね? 今回、私もぜひサインを…と言われました。だから私はこれからの10年のため、これまでとは違う、新しい場所にサインしたんです。だってこれから受賞するたくさんの作家たちのためには広いスペースが必要ですからね。
―――うわあ、ありがとうございます。私たちにとっても励みになります。最後に、これからハリバンアワードに挑戦する方へメッセージをお願いします。
一番大切なことは、学ぶことに興味をもつようにすることではないでしょうか。アワードへどんなプロジェクトを持ち込むのかをよく考えて、そのうえでとにかく挑戦してほしいですね。もう「やるしかない!」とハッパをかけたいくらいです。だってがんばった結果のレジデンス体験は本当に素晴らしいですから。それだけは言えます。それまで知らなかった新しい文化に触れることはきっとこれからの作品制作にも大きな影響を及ぼすはずです。ぜひあなたも体験してください。
クリスティン・ポッター 《ダーク・ウォーターズ》展
アメリカ南東部には「マーダー・クリーク」や「ブラッディ・リバー」など、凄惨な事件現場となったことにちなんだ暴力的な名前が付けられた水域があり、この《ダーク・ウォーターズ》はその周辺を取材し制作されました。クリスティンさんは、これらの事件現場となった水域の風景と、被害者の女性を投影したポートレートを並べることで、今もなお世界中で、歌や映画、テレビなどで語られる物語には「女性への虐待」が潜んでいることを視覚化しようとしています。
今回の展覧会が、見る人にそのことを意識させ、そうした物語が消費されている意味を考えさせるきっかけになることを願っています。
会期: 2024年4月13日(土)~28日(日)
時間:10:00 - 17:00
入場:無料
会場:galleryMain(京都市下京区麩屋町通五条上ル下鱗形町543-2F)
主催:株式会社便利堂