復活のダンス
主日礼拝は、心を込めて賛美して始まる。
次の主日礼拝に、教会の大学生仲間とで、賛美を担当することになった。普通の賛美ではない。歌とダンスを盛り込んだ映像をつくって、御言葉の門を開くスペシャルな作品をつくっている。
今朝、鴨川に行ってダンスの練習と撮影をしてきた。
ダンスの振り付け動画を撮ってくれた仲間は、物心がつくかつかないかくらいからバレエを続けてきたので、ダンスのプロだ。
その人にカメラに映らないところに立ってもらい、その人が踊る背中を見ながら、自分のパートを撮影する。
彼女のダンスのキレと、完璧に覚えて踊る背中が本当にかっこよくて、ダンスの個性と使命を持った人だなと、自分がやってみたからこそ相手の才能にちゃんと気づいた。こんな素晴らしい人を育てられた神様、すごい、と思った。
今だから言えるけど、実は、ダンスはあまり乗り気ではなかった。嫌いな理由はないし、見るのは好きだけど、自分が踊りたい理由も特にないから高校生のダンスの授業以来踊っていない。
それでも、牧師さんが最初は乗り気じゃなかったけど心と思いと命を尽くして、高校生たちに豊かに御言葉やダンスで共にされているのを見て、やってみようと思った。
忙しい、得意じゃない、難しい。やらない理由はたくさんある。それでも、やる理由一つを考えて、できなくても行うのだ。
先週そのように学んだから、仲間が送ってくれたダンス動画を見ながらゆっくりゆっくり練習してみた。
繰り返しやればやるほど上達していくのが分かって、楽しくなった。
そして今日、仲間で合わせて踊ってみて、それぞれの個性と才能が光っているのを感じたので感動的な朝だった。
ダンスが得意な人は教えてくれたり、みんなが状況やレベルによらず一緒に取り組めるように励ましや役割分担をしてくれた。
また別の人は、バトンで鍛えたダンスの腕前を見せてくれつつ、映像編集しやすいように的確に撮り方やツールを教えてくれる。
またある人は素敵な声を活かして、ボイスレコーディングで歌を吹き込んでくれたり。
この賛美の映像作品づくりを通して、なんだか、今年に入って御言葉を聞いて変化したみんながお互いに力を与え合っているのを感じる。復活してレベルが上がったみんなになっている。
私にとっては、うまくできなくてもダンスをしてみたり、ひとりじゃなくてみんなで一緒にやることの楽しさを味わったりしているのが大きな変化だと自分でも感じる。
各自の変化した姿と、個性と才能に拍手喝采だ