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記憶を辿る4

『 令和の模索 』

山城に嫁いできた母親の父もまた、バイタリティ溢れる人だった。
クリーニング店の傍ら、喫茶店や不動産など手がけていた。高度経済成長期、団体旅行や修学旅行客が主だった京都の旅行業に食い込み、旅館から出るリネン類を 一手に担っているクリーニング店だった。
寝る暇なく働いている父の姿を見て育った母は、手伝うことは当たり前の日常だったようだ。
これだけ聞けば、あららという声も聞こえてきそうだが、三種の神器と呼ばれていた家電をいち早くに購入し、実家の居間ではTVが見たいと近所の人で溢れかえったこともある そんな体験をさせてくれるような祖父だった。
そういうお金の使い方をする祖父。
見栄っ張りのようだが、物やお金に支配されていないように思う。

関東大震災から 1日違いで京都に移り住み難を逃れた祖父。

戦場から無事に帰還できた直系の祖父からも感じるのは、精一杯 今を生きるということが共通しているように思う。口には出さないし、表現などは全くなかったが、自分の身を粉にしてでも家族に何かを残そうとしていた。

当時の思いを今は聞くことができないが、無事に難を逃れられた感謝、運を授かった命を活かしたい そんな気持ちが強かったのではないだろうか。

明日がわからないからこそ、今を生きる。

彼らの残した無言の教え、先行きが不透明な令和の今日も自問自答している。

株式会社 山城
〒604-8074  京都市中京区富小路三条下ル朝倉町539番地
WEB SHOP : http://yamashiro.biz

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