「イギリスで書店が増え続ける理由」清水玲奈
イギリスの新年の幕開け、出版業界に2つの明るいニュース
イギリスの2023年は、ギネスブック掲載が確実になった書籍の出版で幕を開けた。1月10日に出版された英王室のヘンリー王子による自伝『スペア(Spare)』だ。出版数日前の1月6日、スペインの書店で誤ってフライングで発売された本をもとに「ガーディアン」紙が内容をスクープ報道すると、イギリス国内はその内容をめぐる議論で持ちきりになった。
そしていよいよ公式の出版日である1月10日、かつてのハリー・ポッターシリーズ最新刊の発売日と同じように、イギリスのいくつかの書店が未明の夜12時に店を開けて本を売り出した。ただし、どこも長い行列ができるまでには至らなかった。たとえばイギリスの大手書店チェーン、ウォーターストーンズのロンドン・ピカデリーの旗艦店では、各メディアのカメラが待ち構える中で、イギリスでは少数派であるヘンリー王子夫妻のファンだという女性客(59歳)だけが店を訪れて本を買い、逆に話題になった。それでも、ウォーターストーンズは、発売日前の予約部数がチェーンとしての史上最高記録となったと報告している。
ヘンリー王子夫妻の人気は、イギリスでは低下傾向が続いていて、その傾向は、出版後も変わらないようだ。「ファンだからとかお祭り騒ぎに参加したいとかというわけではないけれど、王室との確執が続く中、ヘンリー王子が書いたことを自分で確かめたい」と考えた人が多かったようだ。
ニールセンの発表によると、イギリス国内では発売から最初の1週間でハードカバー版だけで46万7183部を売り上げ、イギリスの出版史上最も急速に売れたノンフィクション書籍の記録を塗り替えた。版元のペンギン・ランダム・ハウスは、電子書籍とオーディオブックを含むと40万部が出版初日に売れ、最初の1週間で75万部が売れたとしている。アメリカ、カナダでも同時に発売され、イギリスと合わせて初日に143万部が売れた。
ヘンリー王子は本の中で、兄王子にもしものことがあった場合の「スペア」(次男ハリー王子が生まれた時のチャールズ国王の言葉とされている)として生まれ育った苦渋に満ちた体験と思いを赤裸々に綴っている。初めての性体験やコカイン吸引の告白のほか、チャールズ国王に再婚を踏みとどまるよう懇願したこと、兄のウィリアム王子とメガン妃についての口論の末に身体的暴力を振るわれたことなど王室内の秘密の暴露に加え、空軍に従軍していた時代にタリバン兵25人を殺害したと書いた。軍の機密情報を流したことでイギリス兵や退役兵への復讐行為を招きかねないとの批判も受けている。
ヘンリー王子が英米のメディアでインタビューに応じる一方で、イギリス王室は、出版についても本で告発された王室批判についても、完全に沈黙を守っている。5月に予定されるチャールズ国王戴冠式を前に、王室はほとぼりが冷めるのを待っているとの見方が有力だ。それでも、本は引き続き、さまざまな書店が店頭に山積みするベストセラーになっている。
コロナのおかげ? 書店が増え続けている
ヘンリー王子の自伝は、1月6日のBBCでトップニュースだったが、同日のニュースでは、もう一つ出版業界に関する話題が取り上げられた。それは、イギリスの独立系書店の数が過去6年連続で増加し、20年以上にわたって続いていた書店減少の傾向が確実に反転したと見られるというニュースだ。
エリザベス女王が崩御した後のイギリスでは、コロナ禍がほぼ収束した反面、物価上昇やブレグジット後のEUとの交渉難航、移民問題などの問題が次々と浮上し、看護士や学校の教師らエッセンシャルワーカーを含む人たちのストライキが相次ぎ、人々の日常は困難に見舞われている。そんな中、出版業界は好調らしい。
2022年末の時点で、イギリスとアイルランドの書店協会(BA)に登録している独立系書店の数は、2021年の1027軒から1072軒に増加した。2016年の867軒で底を打ってから上昇傾向が続いていて、過去10年間で最多になった。過去1年間に新しく開店した書店は40軒あまりで、そのうち数軒はロンドンと近郊だが、後はマンチェスター、バーミンガム、ブリストル、ベルファーストなどの地方都市などを中心に、各地に散らばっている。
BAが、所属する書店を調査したところ、2022年の年間の売り上げは2021年よりも増加したと回答した書店が73%に達した。そして、イギリスで本が最もよく売れる季節は、10月の新刊書の出版ラッシュシーズンから12月で、このクリスマス商戦が業界にとって大きな指標となる。2022年のクリスマスに限ると、景気後退や物価上昇による生活費の圧迫が大きな問題になったが、BAに所属する書店の50%以上が、2021年のクリスマスと比較して業績は好調だったと報告している。BAではこの不況下でも書籍は今のところレジリエンス(逆境に負けない力)を示していて、「優れた書籍を読者に届けようという書店業界の懸命な努力が報われた」と称賛している。
また、クリスマス時期のイギリスの図書カード「ナショナル・ブック・トークン」の売上は前年比8%以上の伸びを示したという。さらに、独立系書店が独自に発行するギフトカードの売上は過去最高を記録した。「ナショナル・ブック・トークン」のマネージング・ディレクター、アレックス・デ・ベリーによると、「寒波や、相次ぐ鉄道のストなどの困難な状況にもかかわらず、消費者は書店での買い物を好むことが、あらためて証明された」。
BAのマネージング・ディレクター、メリル・ホールズも、BAのホームページで談話を発表し、「書店が各地の商店街のコミュニティにとって極めて重要であり、消費者に高く評価されていることが裏づけられた。書店は大小すべての街の中心部に社会的・文化的資本をもたらし、地域やイギリス全国に大きな意義と存在感を示している」と評価した。さらに、書店業を支える新しい世代が確実に育っているとの見方を示した。「新しいビジョンとエネルギーをもつ新しい人材が書店員となり、そして書店が社会や経済にもたらす文化的貢献をさらに高めたいという意欲を持って、業界に仲間入りを果たしている。こうしてもたらされた新鮮な活気が、業界の将来にさらなる活力と多様性をもたらしてくれる」
2020年から2022年の初めにかけて、イギリスの書店全体はコロナ禍と相次ぐロックダウンにより、長期閉業を強いられた上、流通の問題で注文した本の仕入れが滞り、大きな打撃を受けた。この間、BAは規則に違反しない範囲で営業を続けるノウハウの情報提供や、レジに設置するアクリル板の配布など、メンバー書店のサポートに奔走した。ホールズらBAの運営部にとっても、その困難な時期に新しい書店が増え続けたことは「率直に言って驚きだった」という。
ロックダウン下で読書の楽しみを再認識し、その習慣を継続した人が多かっただけではなく、「本当にやりたいこと」を考え直して、書店を開くことを決意した人も少なくなかったことは、2022年の記事「コロナ後のイギリス、明るい書店事情」でも触れた。このとき潜入リポートした現役書店主による書店開業講座には、イギリス各地からさまざまな経歴の人たちが集まっていたが、その後、夢を実現して実際に書店を立ち上げた人が少なくなかったことが、今回の統計に表れている。
「書店の文化的な貢献と、現役の書店員たちの活躍に刺激を受け、書店は有意義でやりがいのあるキャリアの選択肢だと考える人が増えた。書店を開く理由はそこに集約される」とホールズは語る。
新しいトレンドは、少数派のための書店
イギリスでは、劣悪な労働条件や税金逃れが問題となったアマゾンが敬遠されるようになったことにも助けられ、またコロナ禍を機に地元の商店を見直す流れにも乗って、「本屋さんで本を買う」という行為がより広い人たちに見直されている。
そして、書店業界の好調ぶりは独立系書店に限らない。大手書店チェーンのウォーターストーンズも、2022年はロンドンなど全国に新しく4店舗をオープンしている。また、アパレル大手のネクストとの提携にも力を入れていて、ネクストのメガストアの一角に2軒の店舗を新しく設けた。
そんな中、際立った現象になっているのが、LGBTQ+や有色人種といった少数派のアクティビストが運営する少数派のための書店の開店ラッシュだ。社会的、政治的な主張のあるこれらの書店を総称し、英米では「ラジカル・ブックショップ(急進派書店)」と呼ばれている。
現在、イギリス全国の書店のうち、50軒が急進派書店連盟(Alliance of Radical Booksellers、ARB)に加盟している。うち少なくとも5軒は、2020年以降に創業してメンバーになった新しい書店だという。BAのデータでは2022年に創設された書店は45軒ほどだから、その1割が急進派書店ということになり、特に伸びが大きいことが分かる。
書店がARBの会員になるには、以下の2つの条件を満たす必要があり、これを読むと、急進派書店とは何かという概要がつかめる。「社会主義、無政府主義、環境保護、フェミニスト、反人種差別などの問題意識を持っていること」、「グローバル、ナショナル、ローカルな領域における政治的、個人的な変化を促し、支援し、広く伝えるための書籍を置き、販売すること」。
2022年の年末には、ロンドンの複合文化施設バービカン・センターの図書館で、「静かな革命:急進派書店の祭典」と題したイベントが初めて行われた。ブックフェアはどのブースにも大勢の人が集まり、トークの会場では立ち見が出る盛況となった。
急進派書店は、第二次世界大戦後の復興期から欧米に存在していたが、昨今のイギリスでの新たな動きは、それらがメインストリームの社会・文化の一部になりつつあり、そして新規参入も相次いでいるということだ。ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動やLGBTQ+の人権についての運動の盛り上がりを受けて、メインストリームの社会・文化においても急速に多様性や社会正義に関する意識向上が進んでいる。また、コロナ禍を経て、地元の商店を含めたコミュニティを育てる重要性が多くの人に認識されるようになり、主張のある書店を応援しようという機運が高まっていることも背景にある。
古くて新しい急進派書店は、時代の変化を受けて、少数派の書店から、「多様性」の大切さに共感する全ての人たちのための書店へ、という歴史的変貌を遂げつつある。BAも近年新しい試みとして、人種を含め多様性に配慮した書店の運営・創設の支援に力を入れるようになった。急進派書店の動きについては、また稿をあらためて報告したい。
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※本稿は、龍谷大学国際社会文化研究所の「ポストコロナ時代における芸術・メディア」プロジェクトの一環として公開しております。
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