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~京焼について~

 京都府内で作り出される陶器=京焼
 今日、京都で発見されている焼き物の古くは「山科」で焼かれたもので、主に須恵器の窯である。
 七世紀初めの頃の窯跡が、晋六窯のある岩倉で発見されている。岩倉の窯は瓦と須恵器との兼用窯で、当時瓦を使用するのは、寺院などの壮大な建築物だけに限られており、岩倉で焼かれた瓦は、京都西部の北野付近の寺の屋根に使われていた。
 八世紀の末頃になると、平安京の建設が始まり、もともと瓦と陶器の兼用であった岩倉の窯では活気を呈し、発展していき、平安期の焼き物技術の精華といわれる大極殿を飾った緑釉瓦を生み出した。
  岩倉幡枝にある「栗栖野窯跡」は平地に築かれたものがほぼ完全な形で残っており、当時としてはかなりの性能を持った窯であった。
 

 この仕事をするようになり、様々なことを知る(*^^)v
 参考資料:京焼 ~その歴史と展望~







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