日本人はなぜ"抽象先行思考"が苦手なのか
挨拶
初めまして。大学生の鳥羽恭介と申します。このnoteは、「知的生産者たりたい」という個人的な目標への1歩目として生産物をゆるく発信していく、そんな空間にしたいと思います。
今回のテーマ
先日、山口周さんと北野唯我さんの対談イベントに参加するため新宿紀伊國屋に行ってきました。(https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20191224100007.html) 今後数回は、そこでの対談と質疑応答で扱われたテーマを材料に、自分なりの加工を加え、そこそこ妥当な結論を出す、という「思考」をしてみます。各プロセス、ファクトぬけぬけ、論理ゆるゆる、価値ゼロな結論かもしれませんが、勇気をもって踏み込みます。今回のテーマは「日本人はなぜ"抽象先行思考"が苦手なのか」です。
テーマ選定の背景=問の立脚
山口さんは対談の中で、ゴーン氏逃亡の事件を受けての森雅子法相の発言を取り上げてこうおっしゃってい(ると私は理解し)ました。「日本人は、上部構造から下部構造への変換が苦手である。言い換えれば、コンセプト(抽象)からプラクティス(具体)へという流れを追うのが苦手である。法相が『ゴーン氏は無罪を証明すべき』と発言したが、法哲学を学んだ人間なら唖然とする。立証されるのは有罪である(推定無罪)という原則(抽象)を理解していない(例えばこの記事https://www.asahi.com/articles/ASN1B6597N1BUHBI03D.html)。これは経営の文脈でも起こっていて、ビジョン(抽象)を事業(具体)に落とし込むのに慣れていない。」「日本人は具体から具体への思考になりがちである。古代に中国へ律令という国家統治の方法を学びに行った時から先例頼りで、事例に学び、実践に落とし込む、学習法なのだ。」「原理・原則を長い年月をかけて磨いてきたこともあり、欧米は原則から実践への移行がより自然に行われる」(聞きちがえもあろうし、事実か裏をとれているわけではないですが、ここまで"真"と仮定して議論します。感覚的には皆さんも"真"だと思われるのではないでしょうか)
思い当たる節があるな、と思いました。これはコンサル就活の文脈でいえば、「アイデアベースになりがちでロジックで展開できない」私たちのGDであり、ケース面接の際「トップダウンで考えるかボトムアップで考えるか」に似てくるな、と。特別意識しなければ、"ロジックツリー"とか、"論理思考"とか、"MECEに切る"なんて考えもしないし、意識してさえ実践仕切れないのが悲しい現実です。また、ほぼ同時に、Why so? と自分に問うことになります。つまり、「日本人(としての自分も)はなぜ"抽象先行思考"が苦手なのか」という問いがここに生まれてきます。
仮説
この問いに対する私の仮説です。「日本人が抽象先行思考が苦手な理由の一端は、日本語の文法構造にある」です。もう一歩踏み込むと、「日本語は徹底的に前置修飾だから」日本人は抽象先行思考が苦手なのです。(もちろん、「そういう教育をされてきてない」は最有力ですが、もう少し深く考えます。)
きっかけ
この仮説が浮かんだきっかけは、大学受験中の妹に、英語の質問を受けたことです。都内私大の過去問を解いていて、解説を読んでも分からないからと文法の誤文訂正の問題を渡されました。「あれ、むず。。」と純粋に思ったことはさておき、「英文を読む時と、ワークで考えてる時とで、脳に似たような負荷のかかり方をしている、そしてこれに遠くないことを山口さん話してたなあ」と。
詳説
一般に、日本語は前置修飾しかなく、英語などラテン語に端を発する系のヨーロッパ系の言語は後置修飾もあることはご存知の通りです。
もう少し気の利いた例をあげたいですが、読者の方の連想力にお任せします。日本語は前置修飾しかないですが、英語は前置後置修飾どちらも持っています。
修飾という行為の要素は、"枠"と"中身"です。枠を先に掴み、後から中身を入れ込んでいくのが前置修飾、中身を先に掴み、枠で後から囲むのが後置修飾です。受け手からしても、この順序で脳に捕捉され、同時に処理が行われます。つまり、前置修飾に慣れているか後置修飾に慣れているかあるいはその両方か、で思考の"クセ"が変わってきます。
で、こういった文法レベルでの思考順序の話と、山口さんのお話にあった司法・行政・経営において上部構造→下部構造で考えられるかの話、とはレベルが全く違います。しかし、ニューロサイエンス的なレベルまで落とし込んだ時、脳はほぼ同じところを使って処理していて、普段使う言語からくる思考のクセが、より大きいレベルの思考作業にも影響してたりするんじゃないでしょうか?
ちなみに
「枠を先に掴む」は僕のなかで、使える思考法ランキング第5位以内に入る代物です。例えば、テスト勉強。僕はノートの本文を読むより先に、「各回のテーマ」>「各回の大項目」>「各回の小項目」の把握と一覧化に着手します。要は目次作りです。これらの枠を先に掴み、のちに本文という中身を入れ込んでいくと、記憶の定着がいい上に、引き出しにラベルが貼られ整理されたタンスから知識を引っ張り出せばいいので答案作成にも強みを発揮します。また、「枠を先に掴む」は「文脈を意識する」ことであり、これは「わかったつもり」の予防になります。(西林克彦「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因」)
終わりに
最後に、この仮説が示しうる示唆を述べたいと思います。山口さんの話から壮大に始まっておいて、結局自分に近いフィールドに落とし込んじゃいますが、示唆は「英語学習は抽象先行思考に慣れるために有効だ」ということです。GDやワークでトップダウンで考えられず苦しむ就活生も多いとおもいます。一方、こういう「ロジカルシンキング」と同時に、「TOEICもやんなきゃ!」と焦るのも鉄板かもしれません。どうせTOEICを通して英語学習をするなら、「英語で思考し、抽象先行思考に慣れよう」と意識し、スコア上げ以外の意味合いを持たせることでモチベが上がるかもしれません。