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キルギス国立博物館からキルギスの歴史を学ぶ(旅17日目)

こんばんは!そしてお久しぶりです

2022年10月27日 ビシュケク

さて今日のビシュケクはあいにくの雨

明日はオシュというキルギス南部の街まで12時間の過酷タクシー移動を控えているので
最後にビシュケクをのんびり散歩しながら
キルギス国立博物館に行ってみようと思います
(ちなみに二回目です)

今回の記事で「キルギス」という日本人にはなかなか馴染みのない国
そしてその歴史を知ったりキルギス自体に興味を持っていただければ幸いです!


キルギス国立博物館の情報

まず場所はこちら↓

奥の建物が博物館(晴れの日撮影)

入場料は150ソム(270円)
中央アジア価格!とてもありがたいです

入ってすぐの一階がエントランスで
その下の地下一階で上着や荷物を無料で預けられます。
館内はフリーWi-Fiつき

展示物は三階〜五階にあり結構広いです。
あと改装されたばかりなのか中もとても綺麗

受付のおばちゃんに簡単な説明を受けて三階の展示コーナーへと向かいます!
ちなみに展示物にはキルギス語、ロシア語とともに英語の説明もあり!

さてここからは博物館の展示とともにキルギスの歴史を紹介!
博物館で得た情報と、現地キルギス人に教えてもらった逸話も交え
日本へ帰国後に自分で少し学んだ情報ももとにしています!
参考文献は主にこちら↓

※ちょっとコアな内容もあるので歴史に興味がある方以外は飛ばし読みしながら見てください笑

キルギスの先史時代〜古代

まず前提説明として今のキルギスの地は古代から交易と移動の盛んな地域であったということ!
古代文明が栄えたオリエント(今の西アジア)やギリシア、ローマ
そして古代から既に発展していた中国
それらを繋ぐ交易路、後のシルクロードを構成する場所の一つであった場所です

交易が盛んな分、様々な民族が暮らしてきた場所でもあります

展示物はそんな古代から始まり

日本でも見られるような石器や陶器

なんだか土偶みたいなものもあります

そして博物館には、アケメネス朝ペルシアの全盛期を作ったダレイオス1世も豊かなキルギス南部の地を欲したという記述が(本当か?笑)

ちなみにこれは仲良くなったキルギス人から聞いた逸話なのですが
あの大帝国を作ったマケドニアのアレクサンダー大王の軍が、キルギス西部のジャララバード付近に到達した際、クルミを食べ、その美味しさに感動してギリシアに持ち帰ったんだとか!
「キルギス」という国自体の歴史はかなりマイナーですが、こうして世界史上の有名人にまつわるエピソードがあるのはなかなか興味深いです!

シルクロードの時代へ

シルクロードの交易品

展示はシルクロードが盛んに利用されはじめた交易の時代へ

ちなみにこの当時、キルギスにはさまざまな民族がいたとされますが主に活躍したのはペルシア系とされるソグド人。
今のキルギス人とは異なるのもポイントです

彼らの通商上のネットワークはすさまじく、シルクロードが隊商ルートを整備したり、各地のオアシス都市を整備したり東西の文化の交流に尽力しました。

ちなみに、シルクロードは中国とヨーロッパや西アジアを繋いだだけでなく
南下してインドにも通じる道でもあったため、この地には紀元1世紀前後には仏教もいち早く伝わったとされます
後に中国、朝鮮半島経由で日本に伝わる仏教もこのキルギスの地を通って伝わってきたと考えると感慨深いです

他にもキルギスからはたくさんの交易品が発掘されているらしく

中国のお金や

ソグド文字?か突厥文字?のお金も出てきています

あの西遊記・三蔵法師のモデルになった玄裝もインドに経典を学びに向かう途中にイシククル湖に滞在したとされているらしく

インド風の仏像も

ほんとに色んな文化がここを通ってきたのだと実感します。

昔のシルクロードの地図

トルコ化とチンギスハーン

時代は進み中央アジア、そしてキルギスの地域にも少しずつ変化が

それは東方からやってきたトルコ人の存在です
今は西アジアにトルコという国がありますが、彼らのもともとの出身はモンゴル高原だとされています

そのトルコ系の人々が徐々に西に西に進み
中央アジアに影響力を及ぼし始めます
これが世界史で俗にいう「中央アジアのトルコ化」です!

そしてそのトルコ系が建国したのが王朝がカラ=ハン朝
ここでイスラーム教を受容します
キルギスはそこから今現在に至るまでイスラーム教徒が大多数派
ちなみに言語も現在でもトルコ系の影響が強いです

先日訪れた、キルギスのブラナの塔もカラ=ハン朝時代の遺跡です

後に13世紀になると、日本でも馴染みのあるモンゴル帝国が出現
今のキルギスの地もチンギス・ハーンの時代に征服され
その巨大な帝国の一部になります。

のちにモンゴル民族同士の内部分裂や、てんやわんわあり
ついに!!ついにこの地にキルギス民が登場します

ついに登場キルギス人

今のキルギスがある地にキルギス人が移動しはじめたのは、だいたい16世紀〜ぐらいから。
意外と最近ですよね!
それまではというとペルシア系のソグド人やトルコ系ウイグル人、そしてモンゴル系の民族が主役でした

遊牧民の住居「ユルタ」

メネトケチ村でお世話になった青年が教えてくれたのは
"今のキルギス人はもともと南シベリアの草原に住んでいて
そこからモンゴル帝国の支配などを受けながら時代とともに徐々に南西に進んでいった"
とのこと

日本人と顔が似ていて
「肉を食べたい人たちが西に行って、魚を食べたい人たちが東へ行った」なんてことわざもキルギスやカザフスタンではあるそうです。笑

私自身、カザフスタンでもキルギスでも現地人に間違われました
旅する上では変に目立たないのでちょうど良いです。

ユルタの中

彼らは生粋の遊牧民なので、もちろんにまつわる展示も
馬は彼らの生活と切っても切れない縁で繋がっています
今でも少し郊外に出ると馬が放牧されている光景を見ることができます

昔のキルギス民
キルギスの織物

このキルギスの伝統的な模様は今でもあちらこちらで見かけ
イシククル湖のトン村の泊まった家も、ビシュケクで最初に泊まったホステルにもこの模様の絨毯が使われていました!

キルギスは国旗からも分かるように
赤色が民俗模様でもよく使われています

カザフ族は青色だったので、民族ごとにそれぞれの色があるみたいです

ちなみにキルギスの国旗のマークは遊牧民のテント「ユルタ」の中から見上げたときに見える天井が由来になっています

楽器

そして時代が進み一旦はウズベク系のフェルガナ地方にできたコーカンドハン国の緩やかな支配を受け

北方からあの大帝国の影が濃くなってきます。。。

ロシアによる支配とソ連

ついにこの中央アジアの地域にも19世紀後半から当時東方に拡張を続けていたロシア帝国の支配が及びはじめます。

1876年 ついにキルギスも支配を受けることに

ロシア帝国時代のお金

当時は帝国主義の真っ只中
弱肉強食の世界。世界は西欧列強によって分割されていきます。

ここ中央アジアも例外ではなく
インドを支配下に置くイギリスに対抗する意味も込めてロシアは中央アジアに進出。

また、この地域は綿花栽培に適していた土地だったため
ロシアの工業化促進のための目的もあったとされています。

キルギスをはじめウズベキスタンやカザフスタンには鉄道が多く走っているのですが、多くはこの綿花などの資源を運ぶためにロシア帝国時代に敷設が始まったのが背景にあります。

20世紀に入ると
ロシア帝国支配からソヴィエト連邦の一員へ

ソヴィエト時代の展示

ソヴィエト時代にはまず国境線の確定が行われ
実際の民族の分布には合わない直線的なものも多かったため
今日のタジキスタンとキルギスの領土問題や、ウズベキスタン内にあるカザフ人自治区などに繋がることになります。
ここはアフリカと同じですね

写真は撮り忘れましたが政治犯の牢獄みたいな展示もあり
物々しい雰囲気でした

これはオシュまでのタクシーの運ちゃんが言っていたのですが
第二次世界大戦でも少なくないキルギス人が対ドイツ戦などで動員され、かなりの数が犠牲になったそうです。全然知らなかった。。

キルギスの独立。そして現在

そして
1991年ソ連の解体にともなってキルギス共和国が成立。
念願のキルギス人によるキルギス人の国家です

キルギスは中央アジア五カ国のなかでも当初
最も自由で安定した国と言われていたらしいです。

しかし、14年間大統領職にいたアカーエフの独裁色が次第に強くなり
国際競争のなかで、特に資源に恵まれているとはいえないキルギスの国民の生活は次第に悪化していき、不満は溜まる一方
そして2005年、アカーエフなど与党の選挙の不正が発覚し国民の怒りは一気に爆発します。

2005年チューリップ革命

結果、アカーエフは国外へ逃亡
これがキルギスで最も一般的な花の名前をとって
「チューリップ革命」と名付けられました。

さくらゲストハウスのオーナーさんも
当時ここビシュケクにいたらしいのですが
市民の怒りが爆発し、強奪などがあいつぎ大変な状況だったらしいです。
普段は大人しく優しいキルギス人ですが、自分たちの生活がかかっている場面では人間そう大人しくはしていられません

その後、政権を握った野党も次第に汚職が蔓延し
2010年にも同じように革命が起きましたが
今は政治的には安定期しているとのことです。

まだまだ経済政策や、隣国ウズベキスタン、タジキスタンとの領土問題など課題はありますが、
私自身、お世話になったキルギスにはどうかこれから明るい未来が訪れて欲しいと切に願っています

各国からの贈り物の展示のなかには日本からの贈り物も!
なんだか嬉しいですね!

雛人形?

そして最後の展示。

これからの未来を担う民族衣装を着たキルギスの子ども達
ロシア系もキルギス系の子たちも一緒に写っています。

最後にこの写真で終わったこともなにかメッセージ性があると私は感じました。

おわり

あるキルギスの村で出会った青年も
「キルギス人は、モンゴルからウズベクそしてロシアとずっと強い国に征服されてきた。でも今は自分の国を持てている。」
と言っていました。
彼らにとっては自分の国を持てていることも当たり前ではないのですね。

日本で普通に生活をしていたら
「キルギス」という国の名前も
ましてはその歴史なんて知るきっかけも中々ないですよね。
でもそこには私たちの住む日本と同じように
人々が日々の生活を営んでいて
もちろん同じように今に至るまでの長い歴史があります。

そして、その歴史に触れることも
その文化を理解して尊重することも旅において重要なことだと私は感じます

今回は少し硬い内容になってしまいましたが
少しでも「キルギス」という国や歴史に興味をもつきっかけになれば幸いです!

次回はキルギスでのとある村に行くことになった時のエピソードを紹介したいと思います!
ここまで読んでいただきありがとうございました!(本当に感謝!)

ではでは〜!

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