76歳の誕生日に想う
76歳の誕生日に想う
今まで何とか日本人が普遍主義を理解できる方法論がないものか試行錯誤して模索して来たが、
日本人は全能性追求姿勢も欠如するし、普遍性の追求姿勢も欠如するので、
近代文明の要である全の概念も個の概念も導き出せないという大きな壁に直面し、世俗化の希望を断たれた絶望感に苛まれている。
唯一の望みは、日本人は西欧=キリスト教と短絡させ普遍主義を拒絶しているが、近代文明は一神論とギリシャ哲学のシンクレティズムであることと、近代文明は一神教の背景だからと言って遠ざけているが、イスラム諸国も一神教の背景を持つが積極的に聖俗一致を唱え普遍主義を拒絶している事実である。
普遍主義を実践するのは難しいとしても、、少なくとも近代文明ひいては科学を構築している普遍主義を学んで理解することは必須であり、相手を知らずに対等に張り合うこともできず、近代文明の仕組みすら知らずに普遍主義と戦うのは無理である。
このまま行けば日本は普遍主義に蹂躙されてしまうことは目に見えているのだ!
相手を理解さえできれば、あとは外交で文化習慣の違いを説明し、
外交によりやんわりと断わることもできるし、法整備して侵食を食い止めることもできるというものである。
願わくばひたすら普遍主義を拒絶するのではなく学んで理解する姿勢が生まれることを祈るばかりである。