今こそ日本の特異体質を見直すとき
和魂=信心と見た
神道=原始宗教
国家神道=カルト
「日本人の頭脳構造は原始的、
当初普遍性追求姿勢が欠如するので相対化が出来ないからと相対化できない結果をまとめたが、。
それどころの騒ぎではないと思うようになってきた、
日本人は自分で考えることをしないので原始的な信心に頼るのではないかと思われるのだ、
普通は科学が発達すれば信じることの比率は小さくなる筈、
日本人は普遍性追求姿勢の欠如で相対化できない、つまり科学的でないので論理的でない。
その結果日本人のやることなすことがカルト化し、信じることの比率が異常に高いので限りなく信心に近いのだと思われる。」
と、昨日書いたが、
柳田國男の括り出した日本人らしさが悉く近代文明にそぐわない以上、
今こそ日本の特異体質を見直す時じゃないか、
社会と世間の二重構造(本音と建前の元凶)
正義すら相対的
絶対の概念が欠如する日本人は、
この世は相対、あの世は絶対というくらいの感覚しか持ち合わせていない。
「輸入の社会システムは教育システムに至るまで全て建前であり本音は世間であり虐めである。
正義すら相対的な日本では、世間こそが正義であり、より大きな世間に属するものが勝つようにできている。」
これは西欧の社会システムが流入した際、個の概念が欠如する日本は、個人が社会に直接接しないでも済むように輸入の社会システムは建前にし従来の世間システムを本音として残したのだ。
寄せ集めの道徳
「ある時は和を以て尊しとなす、ある時は目上のものを敬え、ある時は汝の隣人を愛せ、言葉に詰まると無常論を説き、仕方がない、しょうがない、社会なんてこんなもんさ、人生なんてこんなもんさ、こんなもんが嫌なら直せば良い、これで子供がよく育つわけがない。」「
これを俺は聖徳太子以来の御都合主義と呼んでいる、
価値相対主義=御都合主義
現実主義=現実逃避
反知性主義=情緒至上主義
オールオアナン
日本には個(一)の概念がないので全と無の間を右往左往することになる。
美化か自虐の二分法、
全面勝利か玉砕の二分法、
転向か自裁のに二分法、
ファッショかパヨクの二分法、
根拠のない全能感、
日本人無謬論、
「日本人は世俗化の過程を経ていないので、聖俗未分離状態のままであり、全能性追求姿勢も普遍性追求姿勢も欠如するため、科学的でなく従って論理的でもないので相対化ができない。」
相対化できないので、
自分だけは常に篤志で例外、
日本の常識は世界の非常識、
拡散する一方で収斂に持ち込めない、
日本人に必要なのは理念と実践である、
白洲次郎氏が日本にはプリンシプルがないと言い、
敗戦後GHQの三原則を受け入れ新憲法の前文に謳われた、人類普遍の原理(universal principle of mankind)を学んで理解する他日本に残された道はない。