理想と想像と現実はギャップが多いよねという話(教員の仕事)
公立学校教員として正規に働いていた頃のことを、少しだけお話ししたいと思います。
想い描いていたこと(理想)
私は特別支援にかかわりたくて、選択肢のひとつであった「公立学校教員から特別支援学校教員」という方法を選びました。
当時は特別支援枠がなかったので、「小学校」で受験し、特別支援学校に配属になることを期待しました。
もちろん、ただの思い込みではなく、リサーチしてこの方法が一番よいと考えての選択です。
教員採用試験に合格した時は、「特別支援にかかわることができる」と思っていました。
こんなことをしてみたい(想像)
合格してからは、特別支援学校では、私がその道を目指すきっかけとなった「級友」を想いながら、こんなことができるかなとあれこれと考えました。
産休代替え教員として小学校2年生の担任をしていたので、小学校の教員も楽しいんだなという思いもありながら、それでも「なりたかったこと」に近づき、想像は膨らみました。
小学校教員になる(現実)
正規教員となった配属校は小学校でした。
しかも校務分掌は「体育」の担当です。
専門ではなかったです。
勤務校は、体育が盛んな学校でした。
毎朝朝練、校内研究、市内の発表、研究校指定など、ありとあらゆる「体育」のことに力を注いでいました。
まさかの「体育漬け」でした。
正確なラジオ体操のやりかた、体育用具の扱い方、何も知らないところから、「完璧」を要求され(今思えば自分が自分を追い込んでいた)、無我夢中で向き合っていたと思います。
その後の担任も、自分の希望の学年になることは、ほぼなかったです。
人事は希望よりも校内事情が優先です。
たとえば、
サポートが必要なお子さんがいらっしゃる
要介護の親と同居している
といった、他の教員には伝わらない個人的事情がある方もいらっしゃるからです。
管理職等の目からみた采配、異動にともなう事情もあります。
教員になりたての数年は、そういったことはまったく考えもしないし、気づきもしませんでした。
なぜ私は「体育」なの?
なぜ私はこの学年なの?
なぜ私が発表するの?
なぜ私は、毎朝朝練を担当するの?
なぜ私なの?そんな想いの連続でした。
今の私からあの頃の私へ
できることなら、今の私からその頃の私にこう言いたいです。
それは「体力がある若い力が必要だったから」
それは「その学年を担当できる先生がいなかったから」
それは「できると思ってもらったから」
それは「小さいお子さんがいらっしゃる方が多かったから」
だからあなただったの、と。
あの時、気づくことはできなかったのは仕方がないんだよ。
経験がなかったからわからなかっただけ。
今は振り返ってみればよかったなんて言っているけれど、振り返ってみることができる年齢になっただけ。
この記事のまとめ
今は今でしかありません。
だから、さらに
今の私からあの頃の私へ。
理想と想像と現実はギャップが多いよね
こうなりたいな
でも、こんな感じだろうな
いやあ、こんな感じだった
そんなことの繰り返し
力の入っている肩をゆるめて、ゆっくり深呼吸をしてみてみよう
そして、こんなものか
なるようになるし、なるようにしかならない
自分は自分であればいい
がんばらなくてもいいんだよ。
。