生活保護の実態
私が闘病中に生活保護を受けた話。
統合失調症の症状が悪化し、心配した九州にいる両親が母親を上京させ、私と一緒に暮らし面倒を見ていました。
生活保護を受けようと思いましたが、母親が土地(資産)をもっていたという理由で受けれませんでした。
しかし、母親を上京先の叔母さんのところに預けることにより生活保護を受けれました。
統合失調症の症状で被害妄想で某オカルト宗教団体から見張られている監視されている、盗聴や盗撮をされているという内容を訴えて預金等を調べて
7月7日(七夕)に生活保護を受けれました。
実際の生活。
障害者手帳や、自立支援を持っていなかったのでそこで初めて障害者手帳や、自立支援の存在を知りました。
普通は生活保護は12万円程度なのですが、手帳で2級だと14万円でした。
家賃は4万5000円まで。
毎日卵かけご飯か、カロリーメイト生活でうんざりしていました。
たまに叔母さんに食事に連れて行ってもらうのが楽しみでした。
ギャンブル禁止、不正禁止でしたので純粋に守っていましたがカツカツの生活でした。
たまにメルカリやゲームショップに売りに出して生活費をなんとかする日もありました。
病院代はすべて無料なのでいいのですが、医療券を見せる度、嫌な顔を受付でされていました。
ゲーム機やカメラの付いたものはすべて破壊しカメラの付いていないパソコンだけ残しました。(携帯も一時期ガラケーでした)
唯一の楽しみはネットゲームとアニメくらいしかなかったです。
友人と遊ぶにはお金がかかるので、そのお金を捻出するのが難しかったです。
障害者交流センターを知って。
障害者交流センターというのを知り行きましたが、薬で重度の方が多く、まともに話しても、被害妄想で捉えられ悪者扱いをよくされていました。
ある日、下の階に夫婦で同じく精神疾患もちの友人ができ、彼のお陰で立ち直るキッカケができました。
彼は境界性パーソナリティ障害(ボーダー)で浮き沈みがひどかったですが
二人で楽しみをみつけ楽しみながら社会復帰を目指しておりました。
彼が先に社会復帰してしまい、彼は東京に行ってしまいましたが私はじっくりとIT業界を狙い定めておりました、派遣が嫌だったので。
就職で生活保護を脱却、困ったことがおきました。
障害枠で手取りが14万円くらいの求人しかなく、それを受けようとしたら、
ケースワーカーが生活保護費より3万円以上、上回らないと生活保護は抜けられないという事実を言われ。
障害枠だと抜けれないという罠を知り、福祉の闇をしりました。
そこで思い切って一般枠のIT業界に返り咲きました。