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ラーショと味噌はなぜ結婚したのか

こんばんナマステ❤️Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ✨

最近、書いてるご当地麺シリーズ、昨日東京・神奈川編をリリースしたのだけども。

そのなかで東京は中華そばで、横浜はラーメンだっていう話をした。

また、北海道もラーメン。

北海道では冷やし中華もラーメンというし、東北のざる中華もざるラーメンと呼ばれる。

ラーメンというのは北海道・横浜語だと思っている。

華人が横浜に持ち込んだラーメンに、醤油のかえし、鳴門・葱・海苔という江戸蕎麦の要素を加えたのが支那そばで、本州以南では沖縄も含めて戦前はそう広まる。

戦後、支那という言葉を使わなくなり、中華そばという呼称に代わっていく。

どちらかというと東日本では「中華」のみ、西日本では「そば」のみで中華そば、中華麺を指す語法が多いように思える。

だけど、横浜では支那そばのフォーマット自体は受け入れつつ、支那そば・中華そばという言い方を受容しなかった。冷やし中華は流石に受け入れたけどね。

そして北海道には支那そば、中華そばというネーミング自体が入らなかった。北海道で唯一、本州系のラーメンを出す釧路ですら。

ではどうして今日において、全国的にラーメンという名称が一般化しているのか。

これも北海道系と横浜系のふたつの流れがあると感じている。

前者の流れとしては、1970年代を中心にした札幌ラーメンブームがある。

1955年に『暮らしの手帖』がこの年に生まれた味噌ラーメンを取り上げて、ここから知名度が少しずつ広がっていったのは事実だけども、本格的にブームを巻き起こしたのは「サッポロ一番」と「どさん子」でしょ。

ともに1960年代後半に生まれて、1970年代に全国を席巻した。

そしてどちらも中華そば圏である関東の企業だけど、札幌ラーメンに感激して始めたというところは共通している。

一方で横浜系というのは横浜市ではなく大田区から大井川までと思ってほしい。

大田区の京浜トラックターミナルにあった屋台「椿食堂」がフランチャイズチェーン「ラーメンショップ」を東北から九州まで広げた。

横浜文化圏だから当然ラーメンなんだよね。

ラーショがFCをいつ始めたのか定かではないんだけど、恐らく「どさん子」を追うかたちで始めたんだと思う。

ラーショにはふたつの功績があると思っている。

ひとつはラーメンという名称を全国に広めたこと、もうひとつは味噌ラーメンをとくに西日本に広めたこと。

「どさん子」だけなら、地元の中華そばと札幌ラーメンはまったく別物の料理として認識され、とくに味噌ラーメンは広まらなかったかもしれない。

でもラーショは札幌ラーメンよりはずーっと地元の中華そばに近いから、これがラーメンならもしかして地元の中華そばもラーメンと呼べるんじゃないのか⁉️

ラーショの影響は大きいはずだよ。

だけど、味噌ラーメンについてはまったくの誤算。

なぜならラーショの総本山である「GOOD MORNINGラーメンショップ」には味噌ラーメンがないから。

相当高齢な店主が命を削りながらつくっていて、最近は臨時休業が目立つのだけど、もしかして若いころに味噌もやっていたのを体力の低下に伴いやめた、という歴史があるなら教えてほしい。

今のところそーゆー話も聞かないので、本来のラーショには味噌がない、という認識でいきたい。

しかし総本山以外のラーショで味噌を置かない店もほとんど知らない。

それはなぜなのか。

もちろん「どさん子」の影響もあるんだけど、もうひとつ大きく影響を与えた存在がいると思う。

それは「くるまやラーメン」で、こちらも札幌ラーメンを掲げて味噌ラーメンを広めてきた存在。

「どさん子」やラーショと同じく70年代に一気に拡大したチェーンだけど、「どさん子」よりも「くるまや」の方がラーショに与えた影響が大きいと感じる部分がある。

それは「どさん子」は割ときちんと札幌ラーメンに近付けてつくったのに対して、「くるまや」は妄想札幌ラーメンというか、札幌ラーメンとしてみたらなんちゃって感が強い。

「どさん子」は町中華の人が始めたけど、「くるまや」はトラックドライヴァーが何の修行もせず、立ち食いそばの経営を経て独学で完成させたからさ。

なので、北海道の人がみたら北海道のラーメンだとは思わないだろうと。

むしろラーショやラーショからの派生といわれる「山岡家」に近い。

だからラーショのFCオーナーからすれば、「くるまや」の味噌を食べて、ウチも味噌やろうかという気になるし、あるいは来店客から味噌をリクエストされたのかもしれない。

「くるまや」は西日本まで広がってないけれど、東日本では相当競合したので影響は間違いなく受けたと思う。

逆の作用もあった。「くるまや」は開業当初なかったネギ味噌ラーメンが人気だけど、ネギはラーショの影響だよね。

そして間接的に「くるまや」の影響を受けているはずの「山岡家」が北海道に根付いていくという因果。

かくして日本中の中華そばがラーメンに塗り替わり、そのとどめは新横浜ラーメン博物館が刺したと思う。

横浜の論理で全国のラーメンも中華そばもひっくるめてラーメンと紹介する施設に中華そばが完全に組み入れられたんだから。

そこに横浜代表として入ったのは、ラーショから派生した家系ラーメン「六角家」で、これが全国に家系ラーメンの名を広めていく端緒だった。

それじゃあバイバイナマステ❤️暑寒煮切でしたっ✨

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