元号が使いにくい本当の理由
こんばんなまらステ💙Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ⭐️
熊本市が外国出身市民と集会を開いた際、行政文書が元号表記でわかりづらいという意見があり、
これに反発する声がSNSで渦巻いている。
外国人にとやかく言われたくない、日本には日本のやり方があるんだと。
それに対して他の日本人からいやいや元号はわかりづらいという批判があり、ヒッチャカメッチャカだけれども。
ここで元号とは何か、というところに立ち返ってみたい。
まず、中国においては時間が過去から現在、現在から未来へ一直線に進んでいるという考えを取らない。
泰平の世は常に動かぬもので、そしてそれを支配するのが天命を受けた皇帝。
皇帝は元号を付すことで時間を支配することができる。
天変地異や戦乱が起きるとそれは泰平じゃない。それを鎮めるため、皇帝は改元を行う。
日本というか倭国では中大兄皇子・大海人皇子の兄弟が中国に対峙する帝国を創るべく当時朝廷を牛耳っていた蘇我氏を排斥したタイミングで元号を導入、大化の世が始まる。
天皇を名乗り始めたのは天智天皇(中大兄皇子)で、倭国改め日本という国号を名乗り始めたのは天武天皇(大海人皇子)と言われており、もうひとつの中国を大八洲に樹立したわけ。
元号はコロコロ変わるから、過去を振り返ったり、未来を計画するのには向かない。
その一方で東アジアにおいては干支が発達した。
いまの人は干支イコール十二支だと思ってるフシがあるけど、十干と十二支を掛け合わせて干支だからね❗️
十干は陰陽五行説から来ている中国由来の思想だけど、十二支はバビロニア由来とも言われる。
十干と十二支を掛け合わせた60年という暦を使うと、人生40年そこらの時代には充分な長さだったし、ループするから皇帝の治世を批判しない。
何より干支と元号を組み合わせると、過去のループでも言い表すことができてしまうのよ。
例えば昭和の庚戌といえば西暦でいうところの1970年しか存在しない。ここ重要だから覚えといてね‼️
元号はそれ自体は暦として不完全だけど、干支と組み合わせることでパワーアップさせるツールになるということ。
さて、明治天皇即位にあたり一世一元、つまり一代の天皇の在位期間は元号を変えない、という制度を採用した。
西欧列強に伍す近代国家を創るために、元号がコロコロ変わるのは適さないと判断されたのだろう。
それでもまだ不十分として明治5年に太陽暦とほぼ同時に神武天皇紀元、いわゆる皇紀を採用する。
これにより百年千年単位の時代把握が可能になったため元号と干支は紀年法としてはあまり意味をなさなくなったけれど、元号は為政者のものである以上飾りに近いかたちで残り、干支も民衆文化としては残ったけど十干は次第に廃れた。
そして敗戦後皇紀を廃して西暦を採用、昭和天皇が戦後も続投したため昭和は残った。
政府は昭和の次の天皇の時代には元号を無くすことも考えたみたいだけど、世論が元号を支持し背中を押されるかたちで昭和54年、西暦でいう1979年に元号法が制定される。
法的な裏付けができたことも大きいんだけど、元号がここまで支持された理由として昭和が長かったことがある。
この時既に44年続いた明治を超えて過去最長。そして更に10年続くことになる。
元々干支の60年を一時代として考えていた日本人にとっては、昭和も何十年と続けば合理性を帯びたシステムになる。
いまのアラフィフ以上の人って、私は50年生まれとか39年のオリンピック、60年の阪神日本一みたいな言い方を当たり前のようにするのよ。
今年50歳の人は15歳前後まで昭和だったんだから、脳にそれがこびりついている。
このシステムに染まった人は明治から令和の範囲ならサクッと変換も可能で、少なくとも明治維新以降の時代を表すのに元号でなーんも困らない。江戸以前の話ではじめて西暦を使う。
御年配の方にとって西暦なんて1868年で終わってるんだよ。
ところが40代半ばくらいになるともうこの思考回路は無くなってしまう。小学生の時に昭和が終わってるんだもん。昭和を相対的に見るよね、そりゃ。
したがってこの世代以降は何に依拠するかといえばそれは西暦になる。干支はオフィシャルじゃないし、皇紀も廃止されてるんだから。
なお、干支はもう使うことができない。
なぜなら昭和が60年を超えたことで、昭和と干支を組み合わせてもエラーが出てしまうから。
丙寅と己巳はほぼ昭和だった日がないからいいとして、丁卯と戊辰は昭和と掛け合わすことができない。
元号派と西暦派は今の40代後半あたりに大きな断絶があり、交わりようもない。
元号派は日本の文化とか皇室への畏敬とかもっともらしいこと言うけど、決して皇紀や干支の復活を言わない。単純に元号が自分にとって便利なだけなんだよね。
この人達が世の中を仕切っていれば、当然元号がオフィシャルであり続ける。
だけどこの状況はもうじき変わる。
日本の平均年齢は約50歳。ちなみにインドは29歳。
いくら高齢化が進んでいるからって、高齢者は少しずつ亡くなっていき、そして誰もが毎年年齢を重ねる。
数年後平均年齢は52〜3歳くらいになってたとして、その平均にいる人は今の40代半ばの人でしょ。つまり西暦派だよ。
そーゆー人達から政治や行政、財界のリーダー達が出るようになれば、必然的に西暦優勢になっていかざるをえない。
元号派がこのことにもっと早く気がついていたら、平成初期から徹底して元号教育をしていたはず。
それをしてこなかったから、今の40代半ば以降の人は元号を使えない。
残念ながらもう覆せないでしょ。
そーは言っても非キリスト教圏では多くが独自の暦を使ってるのに(インドは西暦57年を紀元とするサカ暦)、日本は西暦を無自覚に使ってていいのか、という意見は一理あるっちゃある。
ナザレのイエスが西暦1年に生まれたわけじゃない、つまりでっち上げなんだから、皇紀だっていいと思うけど、アレルギーを感じる人もいるだろう。
それならば日本ならではの紀元はここに求めるべき、という案をふたつ出してみたい。
ひとつは事実上、中国の影響下から離れて日本文明ができていくきっかけとなった西暦645年大化の改新に紀元を求める方法。
歴史学的に言っても神武天皇紀元よりは妥当性あるでしょ。
今年が1378年ってことになるね。
もうひとつは今の日本国の根幹を成す日本国憲法施行の1947年に紀元を求める方法。
元号と皇紀はいずれも天皇がキーポイントになっており、象徴天皇を謳った憲法に紀元を求めるのは意味があるんじゃないの。
今年は76年。短いように見えるけど既に昭和よりも長い。ちなみにインド独立も同じ年だけど、前述のように国としてはサカ暦を使うからこういう暦は採用されてない。
結局は40代半ば以降に定着してしまっている西暦ってことになるんだろーけど、日本らしい暦を考えることは意味があると思い考えてみた。
それじゃあバイバイなまらステ💙厚沢部煮切でしたっ✨