修学旅行と訣別を
こんばんなまらステ🧡Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ✨
京都の旅館が修学旅行を受け入れると赤字になると騒いでいるけど、
じゃあやめれば、以外の感想が浮かばない。
赤字になる理由としては大規模な手配になるため2~3年前に契約しているけれど、近年の物価上昇でそれではコストが見合わなくなっていると。
それは仕方ないけど、国や自治体に支援を求めるってなんだよ、って話。
つまり税金を民間企業の赤字事業の補填に費やせっていうの❓
ふざけんなよな💢
例えば宿泊産業の人手不足がヤバいので待遇改善に公的支援を、というのはわかる。
宿泊産業の発展無くして、観光立国としての発展はないからさ。
だけどこの話はそーじゃない。
インバウンドをはじめ個人相手に客単価の高い商売をした方が儲かるのに何故そーしないのかと。
昨年視察した九州のある温泉旅館は改革の結果、個人客だけで部屋が埋まるようになったので、団体客を受けなくしたんだってさ。
もちろんすべての宿泊施設がそーであっていいはずもないし、そーもなれない。
全国的には修学旅行の誘致合戦だよ。まだまだ質より量が欲しい宿泊施設はごまんとある。
京都にみんながこぞって泊まる必要がどこにあるのかと。
修学旅行の定番がどーして京都・奈良なのか。
それは修学旅行、旅行業界では教育旅行と呼ぶけれど、それを世に定着させたのがKNT(近畿日本ツーリスト)さんだから。
KNTさんって今は「東京の旅行会社」なのかもしれないけど、元はもちろん近鉄沿線の旅行会社だからね。
奈良の名刹は南都六宗といって奈良時代の仏教のお寺が多いけれど、当時の「宗」とは学問であってそれが教団化したのは平安・鎌倉時代の話。
したがって檀家を持っていないから非常に経営が厳しく、修学旅行が奈良の寺を救ったなんて話もある。
昭和の時代、多くの人は日曜日しか休みじゃなく旅行なんて盆暮れ正月、そして政策的につくられたGW以外はなかなか行けなかった。
そんな時代に観光産業を救ったのは間違いなく修学旅行と社員旅行であり、閑散期の平日に旅行に来てくれる貴重なお客様だった。
翻って今は多くの人は週休二日制なうえハッピーマンデーもあれば、有給休暇だって随分取りやすくなったうえにインバウンドが押し寄せるようになった。
少なくとも京都はそーであり、そんななかで修学旅行を持て囃す必要なんかない。
修学旅行生が京都に泊まれなくなれば、他に移るだけ。修学旅行生はまだまだ引く手数多なんだからさ。
長く続いている修学旅行をなくすな、とか言うけど、長く続いていたのは需給のバランスが良かったからだけだよ。勝手に文化にしないでくれ。
いま東山の三年坂とか行ってもさ、アイドルの生写真売ってるような店減ってるじゃん。
インバウンド向けのグッズに置き換わっているけれど、自分が中学生のときはジャニーズ(現STARTO)のアイドルの生写真ばかりだったよ。
それが答えなんだってば。
まあ、それでも修学旅行生を引き受けたいというのならそれは止めない。
そーやって潜在的な京都ファンを増やし将来の投資にしていく、という考えもあるからさ。
日本人が大人になって京都・奈良に行きたがるのはそーゆーことだしさ。
だったら公的支援とか求めるなって話よ。
個人客と修学旅行生のポートフォリオをきちんと組んで戦略的に動けばいいだけじゃないか。
そーいや自分達は奈良ではそんな感じの旅館でそれこそ枕投げとかしたけど、京都は駅近くのホテルだった。
もうそこは湘南の田舎の学校からすれば見違えるほどの都会なわけよ。
んで、ホテルの近くに風俗店かなんかのシールタイプのビラがたくさん貼ってあって、それを持って帰ってきて教員の部屋のドアに貼りまくって怒られたのをすんごい覚えてる。
保津川下ったりとか、「日本人なら金閣より銀閣だよな」とか知ったかぶって語り合ったりとか、舞妓さんも見たし、班行動でお好み焼き食べたりとか、
そんな記憶のなかで妙にあのホテルのことが残っている。
そうそう、当時仲間内で『タッチ』が異様に流行ってて、そのとき真夜中に関西で放映されてたんだよ。
それをみんなで視た記憶も鮮明に憶えている。
そーいや修学旅行の班行動コースを決めるために学校の宿泊施設で事前合宿みたいなのあってさ、
そのときも夕方にみんなで『タッチ』視たんだっけな。
ほんとさ、青春の0.5割くらいは『タッチ』だったと思う。
「青春はね、心のアザ」だったけか。
それじゃあバイバイなまらステ🧡厚沢部煮切でしたっ✨
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