富士急はひとつの「登山」を喪い、ふたつの「登山」で巻き返した
こんばんなまらステ❤️Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ⭐️
恐らく日本最大の信徒数を持つと思われる創価学会の池田大作名誉会長が度々の死亡説を乗り越え逝去した。
この人物や創価学会、あるいは特製の政党についての評価をここで触れるつもりはないけど、ツーリズムの観点から彼をみた時に特筆すべきことがある。
創価学会が何なのかよくわかってない人が実は結構いるので、掻い摘んだ説明だけしてみる。
奈良時代に南都六宗という6つの仏教の「宗」があった。
当時の「宗」は今のような宗派というよりは学問を指し、当時の仏僧達はそのすべてを学ぶことを求められたけれど、最澄はそれに飽き足らず唐へ行って最新の仏教を学ぶことを志し朝廷を説得して国費留学する。
そして法華経と密教(タントラ)を日本に持ち帰って、これらを網羅した天台宗を立ち上げるとともに、その総本山比叡山延暦寺は南都六宗➕法華経➕密教を学べる八宗兼学の寺と呼ばれるようになる。(正倉院に法華経の経典があり最澄以前から昔から知られていなかったわけではない)
同時代インドのビハール州にあったナーランダ僧院に引けを取らない仏教のユニヴァーシティであり、双方が現在世界遺産登録されているけど、延暦寺がそのような評価が国際的にされていないのは淋しい話。
延暦寺は円仁や円珍といった天台宗の次代エースを育てたのは当然として、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、融通念仏宗の良忍、そして日蓮といった鎌倉新仏教、要するに日本独自の仏教の開祖がほぼみんなここで仏教の基礎を学んでいる。
日蓮は八宗を学んだなかで最澄もメインとしていた法華経が刺さり、それが真実の教えだと考えた。そして他宗をよくディスった。
日蓮の死後、日蓮の眠る身延山久遠寺を6人の高弟がローテーション組んで守ることにしたけど、日興以外の他5人が守らなかったことに腹を立て、
日興は富士宮に大石寺を建立し、富士門流という分派を組織する。
明治政府の命令で一度日蓮宗が全部くっつくんだけど、富士門流メンバーは他と意見が合うわけもなく、独立して日蓮正宗を名乗るようになる。
そんな日蓮正宗の勉強会グループみたいなかたちで1930年に創価教育学会が発足し、1945年に創価学会となり1952年に宗教法人化する。
このあたりから学会員の大石寺への月例登山が行われ始め、人数が急増していくことで一大ムーヴメントになっていく。
まず、学会員のための臨時列車、通称創臨が多数走り、そのために身延線の富士ー富士宮間が複線化された。
何がヤバいって、それまで富士駅の東側で東海道線から分岐していたのが、東京から直通しやすいように西側からの分岐に変更されてしまった。
竪堀ー入山瀬間のルートが不自然な弧を描いているのはそのためなんだけど、竪堀はまだ比較的近くに移設されたからいいとして、本市場駅は1.5kmも離れた柚木駅に生まれ変わった。
だから旧本市場駅周辺の人は全員創価学会と公明党が嫌いだろうし、柚木駅周辺の人は学会員じゃなくても公明党に投票するんじゃないかな。
現在は特急ふじかわをはじめどちらかというと静岡からの直通がメインで富士でスイッチバックしていることが多く、なんだかなーという気がする。
兎にも角にも宗教関係の臨時列車といえば伊勢神宮、天理教、金光教、そして大石寺。大石寺は日蓮正宗の法華講用の列車もあるけど、創臨と比較したら数は全然少なかった。
民営化後のJR東海は創価学会需要を当て込んで東海道新幹線に新富士駅を設置した。
バス輸送については富士急が大いに躍動し、創価学会のために学会営業所まであった。更に大富士開発というバス会社も設立した。
さて、1960年に池田大作氏が創価学会の会長になると政界進出をはじめどんどん規模を拡大していく。
日蓮正宗とは色々軋轢を起こし、1991年に日蓮正宗は創価学会を破門すると、学会員は大石寺への登山を当然やめてしまう。
大きな打撃を受けたのはJR東海と富士急。あと富士宮市だよね。
とはいえJR東海にしてみたら売上の大半は東海道新幹線であるからまだ良かったものの、富士急と富士宮市は一気に奈落に突き落とされた。
富士宮市が焼きそばでのまちおこしに目をつけたのはそのため。
さて、重要な「登山」客を失った富士急は2つの「登山」で巻き返しを図る。
ひとつは富士山の世界遺産登録に向けて動きはじめ、富士山に人を呼び込み始める。
登頂もそーだけど、五号目自体を観光名所にしてしまった。
もーひとつは富士急ハイランドにおいて、フジヤマやドドンパをはじめとした絶叫マシンに特化し始める。
その一方で『きかんしゃトーマス』などキャラものも強化してファミリー層の取り込みにも成功、
いま関東でテーマパークといえばディズニーリゾートの次に思い浮かぶのは富士急じゃないかな。ここで花やしきとか言い出す人は結構捻くれてると思う。
1990〜2000年代の富士急は創価学会破門ショックをバネに動いてきた感がある。
大石寺「登山」を喪い、富士山「登山」とフジヤマ「登山」で息を吹き返したというわけで。
ただ、2013年に念願叶って富士山が世界遺産登録されると、富士山の景観を壊す絶叫マシンって何なの❓って話になってくる。
ということで、現在の富士急の絶叫マシンはさがみ湖プレジャーフォレストにシフトしている。
また、このところ富士急は箱根に進出してきて十国峠のケーブルカーや芦ノ湖の遊覧船を西武グループから譲受している。
神奈川県に「登山」の軸足を移してきていると言えなくもない。
その一方で静岡側は創価学会破門ショックが癒えてないのか、インパクトが弱い。
御殿場や富士宮の五号目ももっと盛り上げて、富士吉田側にばかり集中する登山客を分散させるべきではないだろうか。
御殿場は小田急の協力も必要だけど、富士急が箱根に入ったことで関係はどーなるか。
何にせよ、かつての大口顧客だった創価学会におけるひとつの時代の終わりは富士急にとってどう映っているだろうか。
池田大作氏の死によって、日蓮正宗と創価学会の関係が修復し、大石寺への登山が復活する可能性はあるのかを注視していきたいね。
それじゃあバイバイなまらステ❤️厚沢部煮切でしたっ✨
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