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目的を大切にしていく中で幸せをうばっていると気付いた話。理想や目的を持つ大切さと、捨てる大切さ。
理想について、ビジョンについて考える、共有するというのは大切だといわれますが、それが一方で枷になることもあります。まだうまく言語化できていないですが、いったん書いてみることにしました。自分の生き方としても、他人との付き合い方としても、こういった失敗を経ていまはこういった考え方をしているという話です。
どんな理想を考えたことがあるか
例えば仕事で「こんな製品をつくりたい」「こんなチームにしたい」「こんな評価を得られるようにしたい」というのをよく考えることがあります。コミュニティでも「こんな人達があつまる場所にしたい」「これくらいの人数に認知されたい」「こういった人達から褒められたい」とかもあります。私生活だと「これくらいの生活水準でありたい」「こんな家族と過ごしたい」「こんな場所に住みたい」「この趣味にこれくらい没頭できる人生でありたい」とかもあります。
私は様々な理想であったり、目標であったり、夢であったりを持つことがあります。なにもないという人もいるかもしれませんが、なにがしかもっている人はある程度いるとおもっています。
理想、目標が大切と言われるシーンでは、なにかのリソースを集中させるため、選択と集中をシャープにしていくことで、自分の幸せをあげていこうとするという論理を展開していることがおおくありました。誰かから聞いたことがありますし、自分もそういってきました。なんらかの力、時間をうまくつかうための1つの方法としてその投資先を明確にするということです。また明確にすることで、それが実は欲しいものではないとわかることもありえます。漠然と投資をするよりも、有限なリソースを活用するという観点では重要です。(無限なら気にする必要がない)
自分の場合でもうすこし具体的な理想について言えば「XXXという書籍について具体的に使いこなせて、だれから見てもXXXを理解している人と見られたい」とか「誰かが休んでもうまくまわるチームにしたい」「ソフトウェアテストをなくしたい」とかですね。
アジャイルコーチとして仕事をしているときにも「理想はなんですか?」「どんな状態になりたいって話でしたっけ?」と聞いてきたことも多々あります。
どんなことで枷になっているか
理想を持つことで選択と集中をすることに一役買う面もあるものの、枷になることもありました。その理想には程遠いとわかり、そして近付いている感じがしないときに、フェードアウトしてしまうのです。いわゆる自己効力感の喪失によるフェードアウトです。
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