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大学生活を楽しむことは不可能だ

もう大学でみんなと講義を受けることがない。
この現実を知らされた時、私はどこに向けたらいいか分からない怒りで心がいっぱいになった。涙が出た。大学4年生の日々は孤独の日々に変わった。
友達と食堂で「講義で寝ちゃった」と話すことも、芝生公園でたい焼きを食べる空き時間も
一生戻ってこない。それでも、同じ授業料を払わなければならない。悔しいなこの社会。

こんな日記を書いてからもう5か月も経ってしまった。
あの日から、頼もしい仲間と[K-commu]という活動を始めた。
新入生のためにと始めたけれど、本当は自分自身が孤独に打ち勝てない気がしたからなのかもしれないと振り返って思う。
この5か月、家で一人講義を受けて、バイトに行って、就職活動をした。家にいる時間が長くなって、家族に監視されているような、そんな気分になったこともあった。

大事な友達を電話やテレビ電話をしても、会えない寂しさは消える事はない。
海外のコロナに関するニュースを見るたび、そこにいる友達のことを思い浮かべ、
連絡をしたり、電話をした。心がしんどかった一か月は、毎週土曜日にテレビ電話をして
海外でも同じようにコロナを戦う友達に救われた。

でも、心がしんどくなる時には決まって、人の言葉があって、その言葉が
私の心の端っこを針でチクチクさしてきた。
外部との連絡は苦手ではないけれど、連絡なくかかってくる電話には、正直つかれた。
何度も同じ話をするのも疲れたし、いつまたかかってくるか分からなくて、いつも
緊張している自分がいた。お会いしたことがない人からのため口のメールや、
社内の人をメールで書くのに名前を書いているメールに、飽き飽きした。
「最後の学生生活楽しんでください」「後悔ないように」と書かれたメールは
返事をするのに2週間くらいかかってしまった。

友達にも会えない、旅行も行きにくい風潮、何のためにアルバイトしているのか分からなくなるような日々。
先生は、集中講義のために新幹線で県外に行っているのに、私たちは友達と仲良く講義を受けることができない。
そんな日々を送っているのは私だけではないはず。大学4年生をどうやったら、後悔のないように楽しめるのか。無理に近いと思う。この受け入れ難いキャンパスライフに耐えることで必死だから。もしかしたら私は5月の時点で、楽しむのレベルをかなり下げたのかもしれない。

いや、私は1年耐えたらもう大学は終わりだからいい。新入生のみんなには、「かわいそう」という言葉をかけるのも失礼な気がする。
この5か月間、新入生に送りたい言葉を考えてた。でも、まだ見つからない。もう半年で大学を去る人からの言葉なんてきっと求めていないのだと思うから。
この辛さやしんどさは、当事者でないと分からないものが多すぎる。

だけど、せめて私ができることは、私や仲間がK-commuを通してできることをひたむきにやっていくことだと思う。
思うようにアルバイトができないなか、ボランティアで活動をしていて、どうにかアルバイト代が出ないか、と交渉したけれど、大学からは無理そうだ。
とても悔しくてたまらないけれど、大人に使われないように。自分たちができる範囲で自分たちのためにできることを続けていきたいと思う。

笑顔でいることも、この寂しさに溢れた半年間を偽ることも、疲れたけれど、それでも、私には一つだけ希望がある。それは、私のゼミの先生の存在だ。5月に先生が学生に向けてK-commuにメッセージを寄稿してくださった。
その一文をここでは紹介したい。

「今大切なことは、この無念を表現すること、そして明日からの生きていくための暮らしの具体的な知恵を紡ぐことだと思います」

私は、先生のこのメッセージを信じて、寂しさや悲しさを自分の言葉で表現し続けたい。

つまらない大学生活を送る大学生は、ここにいる。つまらないから、新しい居場所を作り、自分が今一緒に時間を過ごしたい人と過ごし、
必要のない人間関係を見直している。

これからは、「捨てる」ことを大事に。

同じ大学生のみなさん、一緒にこのつまらない社会に抗いながら、強く生きていきましょう。 

未来は私たちのためにある。
わたしたちには、力がある。

新しい景色を訪ねたいと思っています。そして、そこで感じた、音や風、空気、人の温かさをnoteに。