自己革命という名の憐憫を

私は何も成すことができなかった。

これは、まともにアルバイト先や正社員時代の職場を円満に退職したことが無かったことにも起因している。

6年前までは後悔先に立たずという言葉に縛られ、予め自分の中に予防線を張って殻に閉じこもっていた。

そのせいもあってかもう一度やり直したいと強く希求することは少ないが、一つだけ大学時代に後悔したことがある。

それは某合宿を完遂できなかったことだ。
当時は、自分の身体を把握せず雑に扱っていたため、異変に気づかず肉体的にも精神的にも混乱していた未熟さが悔やまれる。

今は、ちゃんと自分の肉体、精神共に向き合い途中で物事を放棄することも以前よりは減少した。

中高時代から薄らと自分で身近な事柄でも良い、社会に何か変革を起こしたいと妄想していた。
当時は臆病で何も出来なかったが、大学時代になるとある程度の自由が保障され、まずはボランティア活動に邁進した。

しかし、本当は自己満足で偽善的な自分に陶酔しているだけではないのか疑問が過り、また何も出来ない無力な臆病者に戻った。

キリスト教ボランティア団体やミサの分かち合いにおいても、私は滔々と欺瞞と偽善に塗れたエピソードを語るしか無かった。

そんな自分が嫌で自己革命を起こそうと某合宿に参加を決め、最後まで居残れなかったが私にとっては眩しいかけがえのないネットワークを築くことができた。

大学を卒業して社会人となった今、紆余曲折あって派遣社員となってしまったが、無力なりに出来ないことに向き合ってる。

もう少しプライベートでも出来ることがあればいいが……

これは私の自己革命を果たせなかったせめてもの餞だ。

ここから先も不安だが、何とか実存と抵抗はし続けてみよう。

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