母親への思い
ややこしい言い回しになるが、『母親に対する直接的な恨みは消えている』ということに、ここ数年くらいでやっと気づいていた。ということに最近気づいた。
消えてるというのが正しい表現なのかはわからない。諦めなのかもしれないし、母親との関係を克服しなくても別にいいのかなと思えるようになっただけなのかもしれない。
もう何年も前に、恨みは諦めに変わっていた。その気持ちが今、昇華しつつあるのかもしれない。
たまに書く母親への思い恨みつらみは、多分昔の記憶を思い出してるだけなんだろうな。
もう何回話したり書いたりしたのかわからないくらいだけど、オレの母は自分しかない人だ。自分が正義、自分が世界基準みたいな人だった。
自分を守るためには平気で人を罵る。
自分の子供に対しても同じだった。自分の失敗までも子供の責任にしてしまうような人だ。
そんな母親が去年の年末に脳梗塞で倒れた。 3度目の脳梗塞だ。 連絡が来たとき「ああ、死ぬかもな」とだけ思った。
前の2回は、ほとんど後遺症も残らなかったんだけど、今回は右側上半身の麻痺と言語障害があるらしい。だけどこれも少しずつ回復していっていると聞いた。不死身だ。
「・・・らしい」と書いたのは、倒れた母に会いに行ってないからだ。多分この先も会いに行くことはないんじゃないかと思っている。
「馬鹿」「阿呆」「ダメ人間」「お前は人より劣っている」
直接言葉で言われることもあれば、無言のメッセージの時もあった。もう一生解けることのない呪いだと思っている。
これを書きながらひとつ思い出したことがある。
オレが小学校の低学年の頃だったろうか、まだ1歳にも満たない赤ちゃんを連れた女の人が家に遊びに来た。この赤ちゃんがいつまでも泣き止まなかったときに、うちの母がその若いお母さんに伝えた、赤ちゃんが泣き止まなくてイライラしたときのアドバイスが「お尻を叩け」「太ももをつねろ」だった。
この事から、赤ちゃんの時のオレがどんな扱いを受けていたのかが容易に想像ができる。
もう母に対しての直接的な恨みはない。そして普通はあるのかもしれない子供から母親に向けられるであろう感情もオレにはない。
母親が異常だったのかオレが非情なのか、今のオレには判断ができない。
子供の頃に受け続けた母親からのメッセージは、いまだに抜け切れず、オレの人格に影響を与え続けている。
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