懺悔と近況報告

もう2年半近く相方に頼って生きてきてしまった。

経済的には、ほぼ100%相方に依存して生活をしていた。相方に養って貰っていた。
よく言えば専業主夫、悪くいえばヒモだ。

そんな相方の持病が悪化してしまい、今までのように働けなくなってしまった。
相方ひとりなら、なんとか生活ができるが、今までのように2人で生活していくのは不可能になってしまった。

「(オレが)元気になるまで頑張れなくてゴメンね」
泣きながらそう言って謝られた。

謝るのはこっちのほうだ。
こんな状況になっても働こうと思えなかった自分に呆れ返ってしまった。精神疾患と心臓疾患を言い訳にしている。オレは本物のクズだった。

オレが居なくなれば何とかなる。そう思い、まず頭に浮かんだのが死ぬことだった。
幸い(?)生命保険には入っていたので、今まで世話になった分くらいは相方に返せる、子供たちにも、僅かながらでも残すことが出来る。

それからはどうやって死ぬかばかり考えていた。
決行するのは相方の次の通院日、ひとりになった時と決めていた。


11月の末、相方を病院まで送った。その帰り、役所に向かった。
「死ぬ前に一度生活保護(以下生保)の説明をきいてみようかな…」 そんな事が頭をよぎってしまった。

生きていきたいならそうなるんじゃないかとは前々から思っていたんだけど、前の日に思いついてしまった。

行けなかったら行けなかったでいいや。それくらいの気持ちだったんだけど、行ってしまった。


生活保護課に行き説明を聞いた。
大まかに内容を書くと、2人で住んでいるので、ひとりだけ生保の申請をする事は出来ない。
申請するなら今住んでいるところを離れて、次に住む場所を決めてから。

次に住む場所も、今住んでいる場所からなるべく離れた方が良い。生保を貰いながら2人で暮らしてるような誤解をされないように、お互いあまり行き来をしない方が良い。その他、その人の個人的な意見、基本的な説明を受けた。
マイナスな話から始めるのが印象的だった。

その場ではただ俯き頷きながら話を聞いていた。
家に戻ってしばらくすると色んな疑問が湧いてきた。
無職で貯金も無い人間が部屋を貸して貰えるのか? それが一番大きな疑問と不安だった。
ただ絶望しながら賃貸情報を眺めていた。

これはこの話とあまり関係ないが、その日の夜、母親が脳梗塞で倒れ入院したと連絡があった。


絶望しながらも、知人にアドバイスを受けたり、ネットで情報を集めたりしていると、年に2回しかない、無料相談会が近々あるという事を知った。迷わず相談に行くことを決めた。

相談会では、初めに司法書士の方と話した。
その人に役所でした話をした所、なるべく離れた所で部屋を探す事。相方との接触をなるべく控える事など、そんな決まりは無いことを知った。そして、今のオレの状況でもアパートは借りられる事もわかった。

借金がある場合は(無いが)自己破産してからの申請とも聞いていたが、これも嘘だと聞いた。自己破産するにもお金が掛かる。その場合は生保の申請をしてから法テラスなどに相談をして、無料で自己破産の手続きが出来るらしかった。
車を持っていたとしても、おいおい処分はしなければならないが、処分をしなければ生保の申請が出来ないというのも嘘だと言っていた。

結局のところ、申請の後の結果はどうあれ、生保の申請は誰でもどんな状況でも出来るし、役所が受け付けないということは出来ないということも知った。
勉強になった。

その後、無料相談会に来ていた不動産屋さんとの話になった。第一印象はあまりよくなかった。この人とは友達になれないなと、何となく直感で思ったが、親切に相談にはのってくれて、次の日早速部屋を見に行く約束が出来た。


次の日、約束通り借りられる部屋を見に行った。隣に墓地が有り、何となく重苦しい印象の部屋だったが、贅沢も言ってられないので、その部屋に決めた。

その後家に戻り、住むことになった部屋の周りの環境などを調べるため、ネットで賃貸情報を見てみると、決めてきた部屋が、不動産屋から提示された家賃よりかなり低い家賃なのを知ってしまった。その不動産屋さんからは、生保で決められている上限の家賃を提示されていた。

家賃が変わると初期費用も変わってくる。家財道具をこれから揃えなければならないオレには、その差額がかなり痛い。

不動産屋さんに不信感を持ってしまったので、その差額は何なのか、電話して確認することにした。
まぁ好き勝手な理由は付けて来るんだろうとは思っていたが、その人の言うことでは、疾患持ちと生活保護の人を住まわせる時のリスク分だと言われた。その後、これは個人的な意見だと前置きして、今のオレの状況で契約してくれる不動産屋を個人で探すのはかなり難しいとも言われた。脅しかなと感じた。

不動産屋に電話をする前に、司法書士の方に、家賃が賃貸情報と違うんだけど、これは指摘してもいいものなのか、みたいな事を電話で相談していた。
こっちとしては助けてもらう身なので、何となく負い目もあり、ここで不動産屋にそれを指摘することで、それまで力になってくれた方々に迷惑がかかるんじゃないか、などの心配もあった。

その事などを司法書士の方に話すと、無料相談会だと言っても、結局はみんなビジネスとしてやっている訳で、何も遠慮することは無い、不信感を持ったのなら言えばいいし、オレが自分で部屋は見つけることも出来るはずだとアドバイスを貰っていた。
結局、不動産屋さんには言いたいことを全部告げて、次の日一日猶予を貰うことにして、自分で、今の状況でも部屋を紹介してくれる別の不動産屋さんを探してみることにした。

話は少し逸れるが、相方は賃貸情報をネットで見るのが好きというちょっと変わった趣味を持っていた。
あまりにも追い詰められた顔をしていたので、なかなか言い出せたかったけど、「生活保護 賃貸情報」で検索すると意外と多くの不動産屋がヒットすることをその時教えてくれた。

早速検索してみると、生活保護でも普通に部屋を紹介してくれる不動産があったので、早速電話をし、不動産屋さんに行く事にした。

こっちの条件に合う部屋をすぐに見つけてくれて、部屋を見に行った。内装も水周りもリフォームしたばかりで、今住んでいる場所と1キロも離れて居ない場所で、初期費用も、最初に話を聞いた不動産屋の半分以下だった。
前の不動産屋の事を話すと、噂では聞いたことはあるけど、実際にそんな商売をしている不動産の実例を聞いたのは初めてだと言っていた。これが生保ビジネスというやつなのだろうか。年金ビジネスというのもあるらしい。

借りれるアパートは想像以上にあっさりと見つかった。


部屋を決めて来た次の日、生命保険の解約金が振り込まれることになっていたので、そのお金で初期費用を払ったり、生活に必要な物をいくつか揃えて、その次の日、12月21日に申請に行くことにした。
申請には司法書士の方も一緒に行ってくれるので心強かったが、かなりタイトなスケジュールを組んでしまっていたので、かなり疲労していた。

申請日当日、司法書士の方と待ち合わせて、生活保護課にいった。
前回と違う方が対応してくれた。
前回説明してくれた方は、なんというか無機質な印象でロボットと話してるようだったんだけど、今回の人は少し柔らかな印象だった。

司法書士のかたからは事前に、基本自分で申請の手続きをしてくださいと言われていた。役所側がおかしな事を言った時だけ、指摘するとの事だった。
何も遠慮することは無いんだよと事前に言われていたので、 弱気な自分を封印して臨むことが出来た。

役所の方と話してると、前回相談した時と話が食い違う所がいくつもあり、その事を指摘したり、何となくモヤモヤとした事全てを納得いくまで説明をして貰い、手続きに必要な書類全て記入を済ませたら、全部終わるのに3時間くらいかかっていた。
前回話した人とは真逆の事を言われ、相方とか家族とはなるべく多く連絡を取り合うように言われた。
ちなみに家族とは連絡を取り続けるようにとは前回も言われていた。

消耗するし削られるが、なるべく多くの役所の人と話すと、矛盾点が出てくる、そこを指摘しながら話を進めると、話が進んでいくと司法書士の方が言っていた。
一回話を聞いていて心が折れてたら、いつまで経っても話が進まなく申請を諦めてしまうんだろうなと感じた。役所側からは申請を諦めさせようとしているような印象を受けた。

申請をした後、扶養することは出来ないか家族に連絡が行くので、事前に連絡しておいた方が良いと役所の方に言われていた。

兄には事前に生保の申請を進めようと思ってることを伝えてあった。母はそれどころではないのでいいとして、後は娘2人に伝えるのが心苦しかった。あまりにも情けなさすぎるとおもってしまっていた。

でも黙っている訳にも行かないので、思い切って連絡をした。
何も聞かれることも無く、あっさりと「了解」と言われた。
言いたいこと、訊きたいことはあったのかもしれないが、多分気を使ってくれたのだろう。

あと、相方にも書いてもらわなければならない書類があったりで、負担をかけてしまうのが申し訳なかった。(これは後からわかったんだが、二人で申請する場合に必要になる書類だった)

申請が受理されるのかどうかは、約2週間後に分かるらしい。
もし却下されたら、その後どうするのかまた一からやり直しだ。司法書士の人が今後も相談に乗ってくれるらしいのでなんとかなるのかな。


この話を進めてる間、これまでして、ほんとにオレは生きたいのか? と何度も自分を問い詰めたりもして、それは今も続いている。
死にたい死にたい言いながら結局生きる方を選んでしまった。考えると自分は矛盾だらけだ。

健常者の方、疾患を持っていても一生懸命働いて税金を収めている方々には申し訳ないとおもうけど、行政の世話になって生きることを選んでしまいました。

これで一安心とも思っている訳ではなく、多分オレは生保で生かしてもらってることで自分を責め続けるんじゃないかと思う。
出来ることなら社会復帰をしたいとは思っているんだけど、全くと言っていいほど、その気力が湧かない。

皆さんごめんなさい。ただただ皆さんには謝りたいです。死ぬ死ぬ詐欺です。

なんとか生かさせてもらって、今後のことを考えていきたいと思っています。

申請が通ったら心療内科か精神科への通院も再開しようと考えています。

とりあえず12月22日までの出来事です。
Twitterでは詳しく何も話していなかったので、ここで今の状況を話させてもらいました。


12月25日

やっぱり今の相方と一緒に住んでるうちから申請するには、相方と二人での申請になるそうだ。そしてオレが一人暮らしを始めてから、相方の生保を打ち切ることになるという説明をうけた。

相方は今のところ生保を受ける気はない。そうすると相方にデメリットが多すぎる。

なので、オレが引っ越す日、12月29日に改めて申請をすることになった。

生保の申請も、不動産屋との契約も躓いてばかりで、順調に進んでるものは何もないし、何も信用できなくなっている。
こんなふうにいい加減な仕事ができたら、病まなくて済むのかもしれないという印象を受けている。


「何やってんだろうオレ」LINEスタンプを描いている時と同じような感覚に襲われ続けている。

ほんとにそこまでして生きたいのか。そればかり考えている。

生き続ける準備を進めながら、希死念慮も同時進行している。


生保の申請の結果がわかるのが二週間後くらい。随分先になってしまった。

それまでの生活はどうするんだろう、生き続けるのか死ぬのかのせめぎ合いが続いている。

ただ、悪いことばかりでも無かったのかもしれない。何よりも自分の直感を信じてもいい事を確信したし、いままでは「ああ、そういんもんなんだな」と思うのが癖になっていたんだが、疑問を感じたら納得するまで遠慮なく説明をしてもらってもいいということを覚えた。

これで申請が通らなかったらほんとに人生詰んじゃうんだろうな。その時オレはどうするのかが楽しみだ。

とりあえずここまでが最近起こった出来事です。
長くなりすぎました、最後まで読んでくれた方ありがとうございます。

#うつ病 #精神疾患 #心臓疾患 #生活保護

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