生きたいのか死にたいのか
今更ながらひらめいてしまったんだけど、自分で死ぬことに悲観的になるってことは、まだ生きたいからなんじゃないだろうか。生きたいから以外にも、悲しむであろう家族や知人に与えてしまうダメージのことを考えるなど、色々なしがらみが理由の場合もあるのかもしれないけど。
ここ最近また自殺念慮に取り憑かれて、具体的に手段とかを考えている時も淡々としている。不思議と悲観的にはなっていない。逆に生きていく方法を考えている時のほうが気が重く悲観的になっている。
上手く生きていけてない人が、この先どうやって生きていこうかを考えて悲観的になるのは当たり前かもしれないね。
何十年も自分で死ぬことを考え続けてるんだけど、今までは逃げるための死だったり絶望からの死だったことが多かったと思う。でも今回のは諦めからの死みたいだ。多分もう開放されたいんだよ。死んだら何かから開放されるのかどうかは知らん。
人は間違いなくそのうち死ぬんだし、わざわざ自分で死ななくてもいいんじゃないか。
こんなのをよく目にする。
いつ来るかわからない死を待ちながら、死にたいを抑えてダラダラと生きる。生きる方法が降ってくるのを待ちながらダラダラと生きる。どっちもどっちだ。
がんばって生きてる人からすればどちらもダメな生き方なんだろうというのはわかっている。でももうがんばって生きていく方法を見つけなきゃって思うほど、生きたいという気持ちが強くないんだよ。
今は激うつな状態ではない。うつ状態ではあるのかもしれないけど、どちらかというとフラットな状態に近いと思う。でも死ぬことが頭から離れない。本当に諦めたみたいだ。
今まずっと死にたいと思いながらもなんとか生きてきた。この先も死にたいと思いながらもダラダラと生き続けるのかもしれないし、死ぬのかもしれない。今までよりも具体的に死ぬことを想像できてしまっているのが現実だ。
勝手に心療内科に行かなくなって2年以上経つオレは、もう自称うつ病、自称精神疾患なのかもしれないね。なんとか普通の生活が出来るようになるくらい回復するのなら、また心療内科なり精神科に通いたいとは思っている。