初投稿

精神修行の賜物かは分からないが、SNSで承認欲求を満たそうなどと思うことはなくなった。だから、別に誰からも読まれなくてもそこまで気にしないだろう。

しかし、自分の書いた文章を後から見返すことは楽しいし、仮に読んでくれる人がいるならば、私は表現者となろうと思う。

まず私は、仏教徒であり、キリスト教徒でもある。無我と縁起の世界に生きた上で、神をも信じている。というよりむしろ、この世界に生きていると、自分の存在に執着し、神をも否定したくなってしまうからこそ、無我でありたいと願い、神を信じたいと願うのだろう。瞑想や信仰は世俗世界からの超越を可能にしてくれる。現世を生き抜く上で必要な手段だと思っている。

欲望は視覚から始まる。見ることによって、欲望が刺激され、世俗的欲求の徒となる。日々、我々は数多くの視覚情報に晒され、欲望が刺激され続けている。逃れるためには北斗の拳のトキのように両の眼を潰すしかないようにも思われるが、軟弱な私にはそのようなことは到底出来まい。毎日寝る前に瞑想をする。呼吸に意識を向けて、世界と自己が一体化していくのを感じる。そうして何とか欲望の支配から脱出している。多少の宗教的色彩はあるが、生きていく上で有用な手段だ。

何を書くべきかも定まらずに書き始めてしまったので、散文的になってしまった。綺麗な文章を読むのは好きだし、自分でもそのような文章が書ければと思う。きっとLINEの返信もしたくないような私のことだ。更新頻度は高くないであろうが、自分の関心ごとについてエッセイを書いていきたいと思っている。

湿度の高い夏の夜。雲間から覗く満月が読書をしろと囁いているので、ここらで一旦辞めさせて頂きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?